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センサリー・アウェアネス・ワークショップ (2022/11/21〜)

ここでは、伊藤稔会長が、毎月何回か土曜日に主にアメリカで日本時間の午前1時からZOOMによって行われているセンサリー・アウェアネスの実習に参加し、その内容を報告しているものです。また報告だけでなく内容を伊東博先生の解説と照らし合わせて説明してくださっているので、とてもわかりやすく、実際に自分でもやってみることができます。実際に勉強会や研修会などでこれを基に実習をしてくださっています。



SAW 2023年7月9日

日本の梅雨も早く終わることを想像していましたら、サンフランシスコ郊外のビエタさんがPCの画面に現れて、サンフランシスコ郊外の我が家では、朝晩は10度ほどの気温で上着が必要とのこと、昼間の霧がかかる街中は寒いとのことでした。日本が夜中の日曜日午前1時であることをビエタさんは知っていて、「ミノル、眠くないの?」と聴かれました。
今日のセンサリー・アウェアネス(SAW)の世話人レイ(Ray Fowler)さんは、「地球の重力(引力)」と関わる実習でした。レイさんは、これまでの3年4か月の間に15回以上の世話人をしてきました。さらに、来月8月からメイン州のモヒーガン島で3週間の対面でのSAWの世話人も再開するそうです。
今日の午前1時を過ぎると世界中から38名の参加者がZOOMに入ってきました。レイさんの最初のことばかけは、「これから始めるセンサリー・アウェアネスの実習は、エクササイズではありません。」と宣言してからスタートしました。
「しずかに、落ち着きましたら、片方の手のひらを自分の頸すじの後ろのほうにしずかに、ゆっくりと当ててみることができますか?自分の手のひらで、ゆっくりと静かに、自分の頸すじの後ろ側に触れてみませんか?いかがでしょうか?」
「自分の手が疲れてきたら、またしずかに触れている自分の頸すじから、ゆっくりと手を離して、自分の片手を下のほうに静かに降ろしてみてください。」「いま、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」
「片方の腕(手)が十分に休むことができましたら、今度は、その下に降ろした同じ手のひらで、ゆっくりと、自分のからだの下の方から、触れてみませんか?」「できるだけ、ゆっくりと、しずかに、自分の下腹あたりから、おへそあたり、おなか、胸、脇腹から肩、肩から頸すじ、頸すじからアゴ、アゴから顔、顔の上のおでこ、おでこから頭の上のほうへ、そっと、しずかに触れてみると、どんな感じでしょうか?」「自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」「自分の手が疲れてきたら、また、しずかにゆっくりと下へおろして、休んでください。」
「いま、自分のからだが、休むことができましやら、片方の手のひじから上を持ち上げてみることがでますか?片方の腕のひじから上を、自分のからだの前に持ち上げてみませんか?」「持ち上げた手の手首から先は、できるだけ力を抜いて、ぶらん、ぶらん、と重力にまかせて置くことができますか。」「自分の片方の手首から先を持ち上げて、ぶら、ぶら、と脱力して置くと、どんな感じでしょうか?」
「それでは、もう片方の手の指先で、いま、ぶらぶらしている、片方の手首から先のゆびに、下から、そっと静かに、ゆっくりと触れてみると、どんな感じがしますか?」「片方の指先で、ぶらんぶらしているもう片方の手に下から触れることができましたら、ぶらん、ぶらん、している指先を、もう片方の指先で、少しだけ、ゆっくりと、上に持ち上げてもることができますか?」
「片方のぶらん、ぶらん、している手の指先を、もう片方の手の指先で、少しだけ、上に持ち上げることが出来ましたら、その指先を、そっと離すことができますか?」
「ぶらん、ぶらん、している指先は、もう片方の手の指先の支えが無くなると、どんな感じでしょうか?」「ぶらん、ぶらん、している手首の先指は、いま、自分の手首で支えられていますか?」
「ぶらん、ぶらん、している手首の指先は、地球の引力に引っ張られていますか?いかがでしょうか?」
「何回か、ぶらん、ぶらん、している手首の先の手の指先を、もう片方の手の指先で、少しだけゆっくりと持ち上げてから、離すことをしてみると、自分の手や指先の感じは、いかがでしょうか?」
「自分の手が、疲れてきたら、また、両手を重力にまかせて、ゆっくりと下に降ろして、休んでください。」「両手が十分に休むことができましたら、今度は、今いる場所で、立つことができますか?」「いま居るところで、ゆっくりと、しずかに、立ってみませんか?いかがでしょうか」
「いま、立つことができましたら、自分のからだが、立つことの感じは、いかがでしょうか?」
「いま、立っているからだは、地球の重力を感じていますか?いかがでしょうか?」
「それでは、いま、自分のからだの上体(腰から上の部分)を、できるだけゆっくりと、しずかに、地球の重力にまかせて、下へ降りることができますか?」「できるだけ、ゆっくりと、しずかに自分のからだの上体を、地球の重力にまかせて、下へ降りるところまで、降ろすことができますか?いかがでしょうか」「なるべく、ゆっくりと、しずかに、自分のからだの上体が下へ降りて行く感じは、いかがでしょうか?」「自分のからだが、地球の引力にまかせて、下の方へ降りるプロセスは、いかがでしょうか?」「自分のからだの上体が、降りるところまで、降りましたら、自分のからだの上体の重さを感じることができますか?」「自分のからだの上体の重さは、いかがでしょうか?」「もしも、よろしければ、自分のからだの上体を、ぶらん、ぶらん、揺することができますか?」「自分のからだの腰から上の上体が、地球の重力にまかせて、ぶらん、ぶらん、している感じは、いかがでしょうか?」
「自分のからだの腰から上の上体を、地球の引力に任せることができましたら、また、自分のからだの上体を、できるだけゆっくりと、しずかに、上に持ち上げてみることができますか?」
「今度は、地球の引力に抗して、自分のからだの上体が、上に、ゆっくりと静かに、上がってくる感じは、いかがでしょうか?」「自分のからだの上体が上にあがってくるとき、自分の足のうらの感じは、いかがでしょうか?」「自分の足のうらで、自分のからだを支えていますか?」
「できるだけ、ゆっくりと静かに、自分のからだの上体が、上にあがってくる感じは、いかがでしょうか?」「自分のからだの上体が、自然に上にあがるところまで、上がりましたら、そこで、自分のからだが、「立つこと」の感覚は、いかがでしょうか?」「いま、自分のからだの重さを感じていますか?」
「自分のからだの重さは、いかがでしょうか?」「いま、ちゃんと、いまいる自分のからだが立つことが出来ましたら、こんどは、自分の両腕を、できるだけゆっくりと、上に持ち上げてみることができますか?自分の両腕を上に持ち上げてみませんか?」「いま、自分の両腕が、自分の肩のあたりまで上にあがるときに、自分の腕の重さは、いかがでしょうか?」「いま、自分の両腕が肩の高さまで上がると、自分のからだのあたまの感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分の頸すじ、両肩、背中、胸、両脇、腹、腰の感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分のお尻、脚のつけね、もも、ヒザ、ふくらはぎ、足首、かかと、足のうら、つま先の感じは、いかがでしょうか?」
「いま、自分の両腕の重さは、いかがでしょうか?」「いま、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」「両腕が疲れてきたら、また、ゆっくりと静かに、重力にまかせて、下に降ろしてください。」
「両腕が支える必要がないところまで、おりましたら、いま、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」「両腕をぶらん、ぶらん、と重力にまかせて下におろした感じは、いかがでしょうか?」
「いま、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」
「それでは、これまでのみなさんの体験をシェアーしませんか?」

以上簡単ですか、今日の夜中の毎週末のセンサリー・アウェアネスのレイさんの「重力と関わる」実習の報告です。九州や山陰地方が大雨のニュースが絶えません。はやく大雨が終わることを願っています。梅雨明け間際の大雨は、暑い夏の到来も告げているようです。みなさまが、ご健康であることを願って負います。

7月9日 伊藤稔



SAW 2023年6月18日

今日2023年6月18日午前1時(スペインのバスク地方は17日土曜日午後5時)からの毎週末センサリー・アウェアネスの世話人はミレン(Miren Salmeron)さんで、ZOOMホストはスコットランドのエジンバラ在住のミスティー(Misty)さんでした。ミレンさんのセンサリー・アウェアネスの実習は、毎回静かに始まります。今日の実習は、「自分のからだの動き(呼吸、心臓の鼓動、筋肉の緊張と弛緩等)」を感じることでした。そこで、伊東博先生の訳した『アレキサンダー・テクニーク』(W.バーロウ著、1989年、誠信書房)の「腰掛けることと立つこと」(167頁)の記述を思い出しました。「多くのアレクサンダー教師は、腰掛けることと立つことという実際の状態からレッスンを始めます・・・立つという姿勢をとり、自分では新しいからだのパターンを「やろう」としないで、ただ自分のからだに覚えさせない、と言われるのです。指示されたことを「やって」はならないのです。ただ思うだけでよいのです。こうした「指示すること」はいつも「前」行動(準備行動)なのだと説明されます。つまり、外部刺激(あるいは内部的な刺激)を受けますと、だれでも、準備的な緊張で反応しやすいのです。これからやろうとすることに対して準備を「整える」のですが、こうした予備的なセットをすることによって、何かの(からだの)動きを始めようとするときに大きすぎる努力をするきっかけを(参加者に)与えることになるのです。」このアレクサンダーの「(自分のからだの中の自然な)大きすぎる努力(緊張)」に気づくことが、ミレンさんの実習の核心かな?とSAWの実習が終わり2日後のいまになって感じました。
ミレンさんは、静かな声で「いま、自分の息がからだへ入ってきていますか?自分のからだから自然に空気が外へ出ていますか?(reach in breath ? reach out breath ?)」「1つひとつの自分の呼吸が、からだの中で、波のように、寄せては、返していますか?自分の呼吸が、毎回、毎回、自分の呼吸が、生まれては、消えてゆく、動きを感じていますか?(movement of your breath)」「自分の呼吸のリズムで、自分のからだの足、ふくらはぎ、ひざ、もも、足のつけね、おしり、腰、おなか、せなか、肩、腕、手、肩から首筋、あたまの感じは、いかがでしょうか?」
「いま、自分の心臓の鼓動(heart beat)は、いかがでしょうか?」「自分の心臓の鼓動、いま、からだの鼓動の動きを感じていますか?」
「自分の指先で、からだのリズムを感じていますか?」「いま、生きている自分のからだの動きを感じていますか?(being alive )」「自分のからだは、自分の呼吸と繋がっていますか?(connection with your breath ?)」「自分のからだの声に正直に居ますか?(guided your inner voice ? sensation that’s comes ?)」
「いま、自分のからだが、休みたければ、からだを横にして、休んでください。」
「自分のからだが、休むことができるからだの姿勢は、いかがでしょうか?」
「自分のからだが、休むことができると、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」
「いま、自分のからだのなかに動きを感じますか?」「いま、自分のからだの動きは、いかがでしょうか?」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」「どうぞ、ゆっくりとからだが、休みたいように、休んでください。」(充分に時間(約20分)をとりました。)
「そでは、自分のからだが十分に休むことができたら、また、しずかに、ゆっつくりと、もとの場所に戻って、これまでの経験をみなさんで、シェアーしませんか?いかがでしょうか?」
以上、簡単ですが、3日前のスペインのバスク地方在住の世話人ミレンさんのセンサリー・アウェアネス実習の報告でした。ミレンさんは、シャーロットのセンサリー・アウェアネスの実習に参加した経験が無いとのことでしたが、マイケルさんやリーさんから直接センサリー・アウェアネスを学んだとのことです。その後、センサリー・アウェアネスを学びながら、アレキサンダー・テクニークも学んできたとのことです。

6月21日 夏至 伊藤稔



SAW 2023年6月11日

今日2023年6月11日午前1時からの毎週末(メキシコシティーは10日土曜日午前11時)センサリー・アウェアネスの実習の世話人は、マリエーラ先生でした。いつも通りに15分前にZOOMに入りましたら、ホストのカリフォルニアのサンタモニカ在住のサラさんと私の2人だけでした。今日の案内の最初のアナウンスは以下の通り、松尾芭蕉の俳句(「何とはなしになにやらゆかし菫草」、その2ケ月後に、日本の何処にでも咲いているスミレ草を、「山路きて何やらゆかしすみれ草」という句を詠んでいます。)からでした。
Sitting quietly, doing nothing
Spring comes and the grass grows by itself
— Basho
In Sensory Awareness, we don’t exactly do nothing
– instead, we do . . . nothing extraordinary.
Walk across a room, feeling each footfall,
and the earth’s support rises through every inch of us;
place palm on forehead, 
and each discovers the other with shifting subtlety;
slowly pass a stone from one hand to the other;
everything we are can be given and received:
Our whole relation to being alive in this world becomes clearer, more deeply felt:
Spring comes, and the grass grows by itself.
 日本や東洋に、もともとあった自然とともに居る、自然の中に在る感覚です。いま、世界中のセンサリー・アウェアネス・ワークショップに参加し、共有されている哲学ではないでしょうか?
今日の世話人マリエーラさんの実習は「呼吸」でした。この呼吸について、ブルックス著・伊東博訳『センサリー・アウェアネス』の最後の付録:エルザ・ギンドラー・・・「人間の学習」の中で、エルザ・ギンドラーが20代で結核になり、「安静と忍耐によって、自分の内面で起こっているプロ―セスをいくらかでも感じとることができれば、それを悪化させないで、むしろ治癒をすすめる方法を見つけることができるだろう、・・・呼吸に非常に敏感になることができれば、健康な方の肺だけでもかなりの呼吸を許すことができて、しかもひどく冒されている方の肺は休ませておくことができるでしょう-それが、これからの自分の仕事」と記してありました。伊東博先生が、20代で結核により肺の一部を切除した経験と重なったと思います。そして、エルザ・ギンドラーが、その時に自分に課した仕事は、今日禅佛教で「瞑想(meditation)」と呼んでいるものの定義づけとほとんど変わらないものでありましょう―当然のことながら、1910年にエルザ・ギンドラーは禅のことを知るわけもないし、彼女はまったく自分自身で実験を始めたのでした。呼吸というものは、その他の基本的な生命活動のどれよりも、もっとも広範囲の筋肉の筋肉構造を含むものですから、このエルザの仕事は、非常に全般的な規模で彼女自身の内面のプローセスとその弾力性を目覚ますものなのです-というのは、ちょうど水の中に小石を落としたように、有機体のどの点における刺激興奮でも、全身にその反応が広がっていくものだからなのです。・・・有機体が生まれながらにもっている再生(regeneration)への傾向を妨げないようにすることができるでしょう。同書289-291頁)
 世話人のマリエーラさんが、静かな声で「それでは目をゆっくりと静かに閉じてみませんか?閉じることができますか?」「いま、目を閉じようとするときに、自分のまぶたの重さを感じていますか?まぶたの重さは、いかがでしょうか?」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」「自分のからだから出てくる息は、いかがでしょうか?」「自分のからだのなかに、自然に入ってくる空気は、いかがでしょうか?」「自分のまぶた、呼吸、自分のからだの感覚は、すべて繋がっています?(every relation comes to you ?)」「いま、自分の呼吸は心地よいでしょうか?(intimate your breath ?)」
「また、次に自分に訪れる呼吸は、いかがでしょうか?」
「しばらくの間、自分の呼吸に意識を向けていられますか?」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」
「それでは、これから、ゆっくりと目を開いて観ませんか?」「いま、しずかに目を開いて、自分の回りを観るとことができますか?」「自分に何が、観えてきますか?」「それとも、自分で何かを見ようとしていますか?いかがでしょうか?」
「いま、自分の目を開いてみると、自分の周りに自然はありますか?」「自分が今いる場所にある自然は、いかがでしょうか?」「自分の身のまわりの自然から、なにか受け取っていますか?」「あるいは、いま自分の身の回りの自然に何を与えていますか?」
「それでは、今度は、今いる場所で、自分のからだを休めることができますか?床の上でも、ソファー、タタミ、ベッド、どこでも大丈夫です。自分のからだを横にして休むことができますか?」
「自分のからだが、休むことができる場所がみつかりましたら、横になって、しばらく休んでみませんか?」「自分のからだが、横になって休む感じは、いかがでしょうか?」「からだが横になって休んでいる時に、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」「自分の呼吸は、まいかい、まいかい、自分のからだに訪れていますか?」「1回、1回ごとの呼吸は、いかがでしょうか?」「自分の呼吸は、充分にできていますか?(becoming more fullness ?)」「自分のからだが横になって休んで居る時の呼吸は、いかがでしょうか?」
「それでは、充分に自分のからだが休息をとることができましたら、これからみんさんの体験をシェアーしませんか?いかがでしょうか?」

 以上、簡単ですが、今日の夜半1時からメキシコシティーの世話人マリエーラさんのセンサリー・アウェアネス「呼吸」の実習報告です。関東地方も昨日梅雨入りが出たようです。どうぞ、お元気でいてください。

6月11日 伊藤稔



SAW 2023年4月23日

今日4月23日午前1時からの毎週土曜日(アメリカ時間22日土曜日午前9時)センサリー・アウェアネスの実習の世話人は、レイ(Ray Fowler)先生でした。いつのように12時45分にZOOMに入ると、カリフォルニア州サンフランシスコ市にお住まいのビエタ(Beate)さんが本日のZOOMのホストでした。サンフランシスコは、すっかり新緑が増して夏のような陽ざしになってきたと話していました。そして午前1時になると、世界中から39名の参加者が確認できました。

『西田幾多郎とは誰か』(上田閑照うえだしずてる著、2002年岩波現代文庫)の本のなかで、西田の境涯が現れている最も単純な言葉はおそらく次の言葉でしょう。「斯く如き世に何を楽(たのし)んで生きるか。呼吸をするも一の快楽なり」(p.199)を上田さんは紹介していました。

世話人レイさんは、「you are available breath ? Your breath is available in you ?」と参加者に最初に語りかけました。続けて、「Eath moment, it not doing, but allow to come breath ?」この最初の言葉かけが、私の中で、上田さんの著書の中で紹介されていた西田幾多郎の「呼吸をするも一の快楽なり」と重なりました。

づづけて、レイさんは「いま自分の呼吸は、いかがでしょうか?」「しずかな気持ちが訪れましたら、自分の片方の手のひらで、自分の顔のほほにしずかに、そっと触れてみることができますか?触れてみませんか?」「いま、どんな感じでしょうか?」「触れている手の感じは、いかがでしょうか?」「触れられている自分の顔のほほの感じは、いかがでしょうか?」

「触れている自分の手が疲れてきたら、またゆっくりとしずかに、下におろしてみませんか?」

「いま、自分の手のひらが離れた、自分の顔のほほの感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」

「今度は、自分の両手のひらで、自分の顔の両方のほほに、しずかにそっと触れることはできますか?触れてみませんか?」「いま、自分の両手のひらで自分のほほに触れている感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」「足のうらと床の接している感じは、いかがでしょうか?」「自分のお尻と椅子の触れている感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分の背中の感じ、背筋は、いかがでしょうか?」「自分の腰、お腹の感じは、いかがでしょうか?」

「いま、自分の胸の感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」

「両手が疲れてきたら、また、両手をしずかに自分のほほから、そっと静かに離して、下のほうへ重力にまかせせて、降ろしてください。」

「いま、自分の両手が離れた、自分のほほの感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分の呼吸を感じていますか?」「いま、自分の呼吸を許していますか?(allow your breath ?)」

「両手がゆっりと休むことができたら、今度は、自分の片方の手の甲で、自分の顔のほほに触れてみることができますか?触れてみませんか?」

「自分の片方の手の甲で、自分の顔のほほに触れてみると、どんな感じでしょうか?」「自分の手の甲で、ほほに触れることができましたら、ゆっくりと静かに、自分の顔の口、鼻、目、おでこ、コメカミ、耳、頸すじ、頸のまわり、に触れてみるとどんな感じでしょうか?」

「自分の手の甲で、自分の顔に充分にふれることができましたら、また、自分の手をゆっくりと静かに、下に降ろして、休んでください。」「いま、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」

「充分に休むことができたら、今度は、自分の手の指先で、自分の顔に触れてみることができますか?触れてみませんか?」

「それでは、自分の手の指先で、そっと静かに、自分の唇に触れてみることができますか?いかがでしょうか?」「自分の唇の感触は、いかがでしょうか?」「自分の口びるのまわりは、どんな感じでしょうか?」「くちびるのまわり、自分のアゴのまわり、自分のほほのまわり、自分の鼻のまわり、自分の目のまわり、まゆげのまわり、おでこのまわり、こめかみのまわり、ほほ骨のまわり、自分の耳のまわり、自分のあたまの後ろの後頭部のまわり、自分のあたまの天辺のまわり、自分の頸すじのまわり、頸すじから肩のまわりの感じは、いかがでしょうか?」

「自分の手の指先で自分の顔、あたま、頸すじ、頸のまわりに触れることができましたら、また、静かに、ゆっくりと手を下に降ろしてください。」「いま、どんな感じでしょうか?」「自分の呼吸は、いかがでしょうか?」

「自分が、充分に休むことが出来ましたら、いま、その居る場所で、自分の足に、自分の手のひらで、ゆっくっりと触れてみることができますか?自分の手で、自分の足に触れてみませんか?」「それでは、いま、自分の手のひらで触れている足のウラの感じは、いかがでしょうか?」「いま触れている自分の足のうらを、自分の手のひらで、さすってみることができますか?手のひらで足のウラをさすっているとどんな感じでしょうか?」「自分の手の指と自分の足の指を組んでみることができますか?組んでみませんか?」「自分の手の指と足の指を組んでみるとどんな感じでしょうか?」「自分の手の指と足の指を組むことが出来ましたら、ゆっくりとしずかに、おおきく回してみることができますか?回してみませんか?」「組んでいる手の指と足の指が、途中で、痛いところがありましたら、そこで止まって、その痛みを、しっかりと感じてみることができますか?感じてみませんか?」

「充分に、自分の手の指と足の指を回すことができましたら、また、もとのところに戻ってみませんか?」「今度は、いま居るその場所で、立ってみることができますか?立ってみませんか?」

「できるだけ、ゆっくりとしずかに、時間をとりながら、自分が立ってみると、どんな感じでしょうか?」「ちゃんと立つことができますか?」「いま立つことができますか?」「立ったときに、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」「いま、自分の足は、ちゃんと床(大地)に触れていますか?」「自分の足のウラの感じは、いかがでしょうか?」

「いま、自分が、ちゃんと立つことができましたら、地球の重力は、いかがでしょうか?」「いま、地球の重力を感じていますか?」「いま、呼吸は、いかがでしょうか?」

「いま、ここでちゃんと立つことができましたら、いま居る場所で、しずかに、ゆっくりと、少しだけ歩くことができますか?歩いてみませんか?」「できるだけゆっくりと自分の歩(あゆみ)を進めてみると、からだの感じは、いかがでしょうか?」「自分の脚、腰、背中、お腹、胸、肩、頸すじ、頭の感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」

「それでは、これまでの体験をみなさんで、シェアーしませんか?いかがでしょうか?」

以上、簡単ですが、今日の午前1時からの世話人レイさんのセンサリー・アウェアネスの実習の報告でした。レイさんは、最後に今年の8月に3年間中断していたモヒーガン島でのSAWの案内をしました。

 4月23日は、スペインのカタロニア地方では、女性が男性に本を、男性は女性に赤いバラをそれぞれ贈ることができるサン・ジョルディの日、ドイツでは地ビールの日、群馬県(館林)はつづじの日とか、世界いろいろあるあるのですね。 みなさま、お元気で居て下さい。

伊藤稔



SAW 2023年4月9日

今日4月9日夜半午前1時からのSAWの世話人はメキシコシティーからマリエーラさんでした。

いつも通りに12時45分にZOOMに入ると誰もいませんでしたが、すぐにマリエーラさんとマイケルさんが登場しました。世話人のマリエーラさんは、以前SAFからクローン病(Crohn’s Disease)の治療中https://www.gofundme.com/f/help-cover-medical-expenses-for-marielaとのことでしたが、今日はお元気そうでした。メキシコシティーは、いま4月8日土曜日の午前11時になるところで、暑いとのこと、日本の4月春本番の季節を通り越して夏とのことでした。

今日の世話人マリエーラさんの実習は、「立つこと」でした。午前1時を過ぎると世界中から33名の参加者が集まりました。この4月から毎週土曜日の週末センサリー・アウェアネスの実習がスタートして満3年が経過しましたが、毎週末参加している参加者のみなさんは、人現会の勉強会参加者のように、みなさんのお顔や名前や国が分かるようになりました。対面では一度もお会いしていませんが、人現会のメンバーと重なる思いがします。

「それでは、これから立つことの実習を始めます。それぞれの居る場所で、立つことができるスペースが見つかりましたら、立ってみませんか?そのままの姿勢で坐っていても大丈夫です。または、自分のからだを横にして休む(バランスのとれたレスティング)姿勢でも大丈夫です。」「いま、立つて居ますか?」「いま、椅子に坐っていますか?」「いま、自分のからだが床の上に横になって休んで居ますか?」

「いま、足のかかとは、いかがでしょうか?」「自分のからだと床(地面;地球)の関係は、いかがでしょうか?」「いま、自分自身を床(地面;地球)に、すっかり、まかせていますか?任せることができますか?まかせきることをしていますか?(self-reliance ; セルフレライアンス:自分自身を信頼し、地球に任せきること?)」「いま、自分のからだと床(地面;地球)は、一緒に居ますか?(living in or living out)」

「いま、自分の足のうらと床の感じは、いかがでしょうか?」「いま椅子に座っている人は、自分のおしりと椅子の座の感じは、いかがでしょうか?」「横になっている居る人は、自分の背中と床(地面と地球)の感じは、いかがでしょうか?」

「いま、自分のからだが不自由ではありませんか?(Enough freedom? Enough space?)」「いま、自分自身が、地球の重力を受け入れていますか?(invitation gravity ?)」「いま、自分のからだに力が入っていますか?(nothing extra need for me ?)」「ただ、いま、そこに居るだけで居ますか?(Just be, just be help and trust ?)」「いま、自分自身の呼吸は、いかがでしょうか?(meet breath ?)」

(注:NHKテキスト『鈴木大拙 願行に生きる』から、第2回自由への気概-禅に基づく自由論より、

「自分の心に動くことを表現するに躊躇するな。大人物といわれている人でも、自分の心の中に在るもの以上に、何ものをも持っているのではない。今ここに[窓の隙から]一條の光明が射し込んで来て、自分の頭の上に落ちたとせよ。いかに微かでもこの光の証人は自分だけの外に、誰もないのだ。これを天下に宣言するに誰に憚ることもいらぬ。・・・これがセルフレライアンスだ、これが本当の自由だ。これが本当の独立不羈(どくりつふき)なるものだ。小さいと言って自ら卑しめるに及ばぬ。小さいは小さいながらに、大は大ながらに、その持っているすべてを表現すればよいのだ。これがシンセリティ(*sincerity;誠実、真心)だと、こういう風に自分は感激したのだ。」(鈴木大拙の若い時の回想録より「明治の精神と自由」『東洋と西洋』、『大拙全集』第ニ十一巻、213-214頁)の文章を読んで、マリエーラさんの「立つこと」の実習を体験して、セルフリアランスの言葉の意味が、自分のからだのなかにストンと音を立てて落ちてきました。)

「自分自身と地球との関係は、いかがでしょうか?あなたにとって自由とは何ですか?(what is freedom ?)」

「もしも、自分自身が疲れてきたら、また、もとのところに戻って、これまでの体験をみなさんで、シェアーしませんか?」

以上簡単ですか?今日の夜中の世話人マリエーラさんの「立つこと」の実習でした。

今日の体験は、原田さんから先週ご紹介いただいたNHKテキスト(鈴木大拙 願行に生きる)のお蔭様で、自分自身の今日の体験にヘルプになりました。また「自由」という日本語が仏教由来であることも分かりました。センサリー・アウェアネスの世話人が、西洋でなく日本や東洋思想を勉強されて、大地に足をつけて実習を続けていることを、改めて思い知らされました。ありがとうございました。

4月9日 伊藤稔




SAW 2023年3月19日

昨日の3月19日の日曜日の午後のSAWの隔週開催の案内が3月16日にマイケル・アトキンソン先生から送られてきましたので、以下の通りご紹介します。

 

Dear friends in the Sensing Sundays community,

One of the great advantages we have by working as a closed group over an extended period is that we can continue an investigation from session to session, deepening our experience with sustained exploration.

In our first session, I mentioned wishing to explore Thresholds in subsequent meetings.  Even before we met again, Sara had touched on the topic for the final minutes of a Saturday session. Misty picked up the theme for our second Sunday’s meeting, and devoted the entire session to exploring thresholds, with some deep and penetrating engagement from members of our group.

I would like to explore further dimensions of thresholds when we meet again this coming Sunday, March 19. 

——Ambiguities—-

Between now and then, I hope you will take some time - moments or hours - to reflect on thresholds you have experienced in the past, or anticipate in the future, or wrestle with in your present situation--thresholds about which you feel some ambiguity.  

Is there a crossing you are drawn to, but which arouses some anxiety? 

Is there a door you stepped through which you wish you hadn’t,

or wish you could revisit and meet in a different way.

Is there a passageway you long to traverse, 

but are not sure you have the resources, the capacity.

Is there another threshold about which you have mixed feelings?

Between now and Sunday, in addition to our preparatory musings, we’ll each need to find access to a physical door to work with our session together.

I look forward to our meeting again, and taking this exploration further.

 

*キーワードのThresholdsの日本語訳は、私なりに「初心(センサリー・アウェアネスを始めて体験したときの身心一如の感覚と感情)」と翻訳してみました。

Sensing Sundays コミュニティの親愛なる友人へ

少人数のクローズ(親近感がわいてくるよう)なグループとして長期間活動することの大きな利点の 1 つは、隔週ごとの1時間30分のセッション(合計6回)ごとに、参加者一人ひとりのセンサリー・アウェアネスの経験を継続し、さらに深めて、各自のセンサリー・アウェアネスの体験を広げることができることです。私たちの最初のセッションで、私(マイケル)は、Thresholds(初心)につて述べました。私たちがこの(センサリー・アウェアネスの)セッションで再会する前から、サラさんは毎週末土曜日のセッションの最後の数分でこの話題に触れていました。また、Misty (スコットランドのミスティー先生)は、第 2 日曜日のミーティングのテーマを取り上げました。そこでは、私たちのグループのメンバーからのこの「(センサリー・アウェアネスを始めて体験したときの身心一如の感覚と感情)初心」について、さまざまな参加者1人ひとりの経験を通して、自分やグループの中で起こる身心一如の体験が広がり、それが、センサリー・アウェアネスのセッション全体を貫いている哲学で成り立っていることを体験できれば幸いです。来る3 月 19 日の日曜日(昨日)の午後に再び会うときに、この「初心」のさらなる広がりを参加者と、ともに探りたい(探究体験)と思います。

——Ambiguities(あいまいさ)——

今からしばらくの間、あなたが過去に経験した、または将来を予測する、または、現在の状況で取り組んでいるセンサリー・アウェアネスの初心、つまり、‘Ambiguities:あいまいさ’を感じている「初心」について時間を取りたいとおもいます。ほんの瞬間または数時間取っていただければと思います。 例えば、

自分のこころが、いま、惹かれるもの、不安になることはありますか?

これまで、通り抜けなければよかったと思うドア(人生の岐路)はありますか?

または、別の方法で再び会えたらいいのにと思うことはありますか?

または、これまでの人生で乗り越えてきた、または、乗り越えてようとして長い間、取り組んできたこととは、何でしょうか?

それでも、自分の人生で、自分のできること、また、そのための自分の置かれた環境について、確かな根拠があるかどうかはわかりませんが、どんなことでしょうか?

自分の身心一如のあるがままで居ることで、自分や周りの人々の間に起こる様々な感情や葛藤が生まれていますか?

 

今から日曜日までの間に、セッションに参加する準備のために、参加者1人ひとりが静かに思いを巡らして(musings)、(日曜日の午後の)セッションを一緒に行うことができるように、1人ひとりが、身心一如の(物理的な)ドアへのアクセスができるように準備をしておいてください。

再会を楽しみにしており、いまこれからの1人ひとりの身心一如の体験がさらに深まりますように願っております。

この案内文にあるように、今日のセンサリー・アウェアネスのセッションは、各自のこれまでの、または、これからの「センサリー・アウェアネスと自分」というテーマで各自の体験の紹介がありました。この案内文は、スモール・クループの15名に送られましたが、ちょうど夏時間1時間早くなるサマータイムがアメリカとカナダでスタートしたために、2名の参加者が欠席していました。私も、くしゃみが、なかなか、終息せず欠席しました。4月2日の人現会の勉強会でも「ニュー・カウンセリングと私の出会い、その後」というテーマで1つのセッションを持ちたいと思いますが、いかがでしょうか?ご検討のほど、よろしくお願い致します。 

3月20日 東京では、昨日の武道館のさくらが3部咲きでした。 伊藤稔



SAW 2023年3月12日

今日の夜中午前2時からのSAWの世話人は、ドイツのヘルガさんでした。彼女は1983年にシャーロット・セルバーに師事して、1990年からセンサリー・アウェアネスの世話人となり、1997年からフェルデンクライスの世話人、2011年から身体生命(Embodied Life Teacher)の教師として活躍しています。彼女は、仏教の瞑想体験(Buddhist meditation practice)を生活禅として実践しています。今日の案内のメールは、以下の言葉ではじまりました。

Continuous Unfolding

Even if it seems early to call it spring,

Already we may notice changes,

In the world and ourselves.

When the afternoon or morning light shifts,

What dims or brightens in us

In our relation to the whole of life?

When a puff of warmth punctuates the chill,

Can we feel the surprise of it

Rather than imagining what will come next?

If we taste these moments,

Rather than fill them with planning and review,

We see they are not a rehearsal for life –

They are life itself.

We are life itself.

All part of one continuous unfolding.

このキーワードcontinuous unfoldingは、友田不二男先生の「掌風(しょうふう)会」という言葉に通じていると思いました。友田先生は、11世紀ペルシア(今のイラン)の詩人ウマル・ハイヤームの四行詩集の題名『ルバイヤート』の四行詩の中から引用したそうです。「ないものにも掌(て)の中の風があり、あるものには崩壊と不足しかない。ないかと思えば、すべてのものがあり、あるかと見れば、すべてのものがない。(ルバイヤート106番)」上記のことば、All part of one continuous unfolding、私は、「掌風」がぴったりと腑に落ちました。

ここ2~3日、関東地方は、「まさに春が来た」、自分の鼻の孔の奥深いところで、早すぎる春の気配に、びっくりくしゃみの連続、目のまわりもクシャミに誘われて、涙目です。そんな自分のからだの常態をぴたりと表現している上記の詩に、これまた自分のこころの奥底からびっくりしました。

今朝夜中の午前1時30分に布団から起きだして、ZOOMを立ち上げて、準備している間もクシャミがとまりませんでした。そのために、今日のヘルガさんのSAWは、開始前に退場しました。来週末の3月19日の日曜日は、午後から武道館で理科大の卒業式がコロナ前のような対面で、3年ぶりに予定されています。人現会の勉強会のみなさまが、Continuous Unfolding(掌風)の中で春風を感じていること、次回の勉強会は4月2日(日)午後2時からZOOMとせりがや会館の対面で実施予定です。よろしくお願いいたします。

なお、ペルシャの詩人ウマル・ハイヤームの『ルバイヤート』は、エドワード・フィッツジェラルド(Edward FitzGerald)の英語訳で日本でも一躍名が知れるようになったようですが、私も調べてみましたら、ハイヤームは、ペルシャの詩人というだけでなく、数学者(天文学者)としても名を残しています。時に、ハイヤームが11世紀に作成した暦の精度は、現在使用している太陽をまわる地球の軌道は、1年で約365日と四分の1日かかりますから、4年に1度の閏年を設けて1日増やしています。それでも誤差が出て、100年目のような、00が2つ続く年の節目に、1日追加して修正しています。それでも千年単位以上経過すると、世界や日本の四季(春夏秋冬)に狂いが出てきます。それを1000年以上使用できるような暦にハイヤームは改良しました。彼は独自の計算方法で補正する「ハイヤーム暦」を開発しました。しかし、当時計算が複雑過ぎて、その後、使われなくなったそうです。

その理由は、地球が太陽のまわりを一回りする距離(円周率π)と関係しています。いくら正確に計算しようとしても、計算しつくすことがでない数だからです。それを数学用語では、超越数と呼んでいます。その数は、人口知能のAIを駆使しても、その真の値に近づくことができても、人間の掌(てのひら)で掴むことができない超越数πでもあります。地球が太陽の周りを回り続けている限り、地上のもの、人間も含めて、神羅万象の全てが、Continuous Unfoldingではないでしょうか?

3月12日 伊藤稔



SAW 2023年2月11日

今日の午前2時(スペインのバスク地方のレガスピ村では2月11日午後6時の夕方)からのセンサリー・アウェアネス実習の世話人は、ミレン(Miren Salmeron)先生でした。最初に午前1時40分にZOOMに入りましたら、今日のホストでサンフランシスコ在住のビエタ(Beate Hecker)さんが入ってきました。スペインのバスク地方の小さな村に住むミレンさんのセンサリー・アウェアネスの実習は、私は1年ぶりになります。彼女は、若いころにライヒ心理学、フェルデンクライス・メソッド等の身体療法を学びながら、自らが保育師として、幼児教育分野の実践で、オステオパシー(osteopathy:「(からだの)動きは生命であること」、自分自身のからだが、すでにお母さんのお腹の中に居る時から、生命として先天的に身についている、「生きる(潜在)能力」に気づき、という言葉を用いて、「モア(more;よりも豊に)」をキーワードに幼児期(生まれる前から12歳まで)の子どものからだの動きから「(人間としての)学びと成長の方向性と可能性(“El movimiento es vida” or “Movement is life”)」のワークショップを定期的に実践していることを事前の自己紹介欄で書いていました。
ミレンさんは、はじめに、しずかに、ゆっくりと、「この一瞬、一瞬、あなたのからだの自然な動きが、あなた自身の居心地の良い方向へ変化するように、生まれる前から、すでに、そうなって生まれてきている自分自身のからだの動きに、気づいていますか?」「あなたが、そのからだの自然な動きを許すことができるようになるまで、なるべく時間をかけて、坐ったり、立ったり、横になって休んだり、歩いたり(行住坐臥)してみませんか?自分自身のからだの動きを感じてみませんか?(a moment, a moment, this your inner space you can change your position more comfortable. Take your time you need, sitting, standing, laying in this moment. )」と最初に、参加者のみなさん静かに語りかけてきました。
(注:『センサリー・アウェアネス』(チャールズ・ブルックス著、伊東博先生訳、1986年)第三章(20-26頁)で「私どもは、このワークショップをつづけているうちに、だんだんと、知覚(perception)というものと、思考、ファンタジー、イメージ、情動などという意識の他の要素-そのいずれもが舞台の上で主役となろうとするかもしれないのですが-とを区別するようになりました。こうしたごく正常な人間的な機能が、多くの人びとの中で、それらが所属しているはずの体験というものから切り離されて、私たちの心の中でフラフラとさまよい歩き、目の前にあらわれてきたものとくっついてしまう、ということがいま起こっているように思われるのです。」)
「1つ、1つのからだの変化(change)や自分自身のからだの動きに、いま、あなたは気付いていますか?」「自分のからだの感覚はいかがでしょうか?」「自分自身のからだの内側の声(inner voice)に、寄り添いながら、自分のからだをいたわる(self-care)ことに、意識はありますか?」
「自分自身の胸の感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分が坐っているお尻の感じは(any change)?」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」
「いま、自分の足が地(球;ground or earth )に、ちゃんと着いていますか?」「いま、あなたの足の裏は、地(球(床))面と、どのように関わっています?」「あなたの足の裏の感覚は、いかがでしょうか?」「あなたは、地(球)面とつながっていますか?」
「いま、あなたの1つ、1つの呼吸は、いかがでしょうか?(each new one breath in and out)」
「いま、あなたの胸(肺)のスペースは、いかがでしょうか?(Is there space in your chest ?)」
「いま、あなたのからだのリズム(動き)は、いかがでしょうか?(moment is life)」
「いま、あなたの呼吸は、いかがでしょうか?」「あなたの鼻孔は、いかがでしょうか?(your nose calling to your attention)」
「How am I ?(観自在?)」「いま、自分の身の回りの状況(atmosphere in this moment)に気づいていますか?(listening and experiencing this moment )」
「いま、生きていますか?(Is any aliveness ?)」「あなたは自分自身の呼吸に気づいていますか?(Allow very breath conscious ?)」
「いま、自分自身のからだの1つ、1つの変化や(筋肉の)動きに、気付いていますか?」
「自分のからだに意識はありますか?」「自分のからだは、自分をいたわっていますか(dialogue self-care)?」「胸の感じは?」「坐っているお尻の感じは?」「呼吸は?」「あなたは、自分の体と対話していますか?」「いま、あなたの1つ、1つの呼吸は、いかがでしょうか?(each new one breath in and out)」「いま、あなたの胸(肺)のスペースは、いかがでしょうか?(Is there space in your chest ?)」
「いま、あなたは、自分と周囲の環境(自然)との間で共振(共鳴)していますか?(resonance and connecting surrounding your air and nature ?)」
「あなた自身のからだと呼吸は?(elements in your breath and bone)」
「あなたの体と床(椅子)のつながりは、いかがでしょうか?」
「あなたの背中と床(椅子の背もたれ)との関係は、いかがでしょうか?」
「あなたの体と地(球)面との着いているところに、何か、変化が起きていますか?(create the change moment and your own voice of your body )」
「あなたのからだは、その変化に応えていますか?(Is there any response, if you feel there are ?)」
「あなたは、いかに在りますか?(How this create all changes, bones ? contact on the floor and support from the earth)」
「いま、あなたのからだのリズム(動き)は、いかがでしょうか?」「いま、あなたのからだの姿勢は、いかがでしょうか?」「いま、あなたのからだは、地球の重力(gravity)を受け入れていますか?」
「あなたは、地球の重力に応えていますか?(gravity response)」
「あなたのからだの自然なリズム(動き)を、いま、あなたは、それを受け入れていますか? (Is it possible to create the moment what comes? Following next invitation)」
「いま、あなたの呼吸は、いかがでしょうか?(air becoming breath )」
「いま、あなたの心身の自然なリズム(動き)は、だんだん広がっていますか?(tiny movement swing wave from the Ocean) 」
「あなた自身のからだの声は、からだの内側から、または、自分のからだのまわりの、からだの外側のスペースから、自分のからだの中に入って来るものがありますか?どんな感じでしょうか?(in this moment, inner voice, inside and outside forever, in your body each breath which is invited, every moment is a moment. This invitation of gravity and response each part of their own way.)」
「いま、あなたの呼吸は、いかがでしょうか?(How is your breath each moment ?)」
「いま、自分自身のからだの感じは、いかがでしょうか?(How is your posture ?)」
「いま、もしもあなたのからだが、歩きたければ、歩いてみませんか?もしも、あなたのからだが、立ってみたければ、立ってみませんか?もしも、あなたのからだが、横になって休みたければ、やすんでみませんか?」「いま、あなたのからだとあなたのまわりのスペースとの関わりは、いかがでしょうか?(your conection in your space to your ground, is their any influence to you ?)」
「いま、あなたのからだの感じは、いかがでしょうか?」
「いま、あなたの頸すじは、いかがでしょうか?」「いま、自分のあたまの感じは、いかがでしょうか?」「いま、あなたのからだと地球の重力とかかわりは、いかがでしょうか?」
「いま、あなたのからだは、健康ですか?(natural health ? express your body ?)」
「いま、自分のからだの感じを、じゅうぶんに感じることができたら、これまでの体験を、参加者のみなさんでフィードバックしませんか?いかがでしょうか?」

 以上簡単ですが、今日の夜中の午前2時からスペインのバスク地方から世話人ミレンさんのセンサリー・アウェアネスの実習のご報告でした。 立春が過ぎて1週間、関東地方では、梅の開花が聞かれるようになりました。どうぞ、みなさま、お元気で居て下さい。

2月12日 伊藤稔



SAW 2023年2月4日

今日の午前2時(カナダのトロント時間で2月4日土曜日のお昼12時)からのセンサリー・アウェアネス実習の世話人は、レズリー先生でした。最初に午前1時45分にZOOMに入りましたら、すぐにレズリー(Leslie French)さんとステファンさんが入ってきました。ステファン(Stefan)さんがニュー・ハンプシャーは、今日の朝の気温は氷点下-28度と教えてくれました。レズリーさんはトロントも同じくらいこの2~3日は寒さが続いているとのことでした。私も40年ほど前のクリスマスに、カナダ中部のウィニーペッグ市で氷点下-32度(華氏と摂氏が同じになる)を体験したことを思い出しました。空気中の湿気が凍り付き、顔の回りの目や鼻のまわりの濡れている部分が、瞬時にフリーズ状態になり、冷凍庫の中の霜状態のようになったことです。空港に迎えてくれたカナダの友人から真っ先に渡されたものが、手袋とマフラーで自分のからだと空気(大気)が直接触れる部分を最小限(目だけ)にすること。それでも目のまわりの湿気で、まつ毛にすぐさま霜ができました。カナダの友人宅に到着すると、そこでは、台所の冷蔵庫は、食物を凍らせないで保存する箱(野菜や果物等)として用いていました。その他は、すべて外に出したまま冷凍保存していました。日本でも北海道の旭川市の北に「和寒(わっさむ)」という地名がありますが、そこでも地名通りに氷点下-30度を記録したとか聞きました。

 世話人レズリーさんの今日のテーマは、「息を吐くこと」でした。事前に小石やテニスボールのようなゴムまりを準備することのアナウンスがありました。

「自分の両手のひらを顔の前に出して、手の指先を1本、1本、を広げてみませんか?」「手の指が、1本、1本離れて、広がりますか?」「手のひらの指を広げることができたら、今度は、親指以外を2本ずつ、くっ付けてみることができますか?自分の手の指を2本ずつ、付けてみると、どんな感じでしょうか?」「左右の手の指の感覚は、いかがでしょうか?」「手の指を2本ずつ、くっ付けているとき、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」「自分の手の指先を、2本くっつけたり、離したりしている時、自分の呼吸を感じていますか?」

「それでは、もしも自分の肩に力が入っている人は、肩の力を抜いて、自分の両手のひら、指先をぶらぶらと揺すって、両手のひらを楽にして、下に降ろしてください。」

「呼吸が整いましたら、今度は、自分の顔の前まで、両手をゆっくりと持ち上げて、自分の顔の前で、左右の手のひらを静かに、合わせてみませんか?」「そっと両手が、出会うことができたら、自分の手のひらの感じは、いかがでしょうか?」「自分の顔の前で、両手が出会うことができたら、今度は、左右の自分の手のひらに、ゆっくりとしずかに力を入れてみることができますか?入れてみませんか?」

「いま、自分の片方の手のひらは、もう片方の手のひらを押していますか?」

「今度は、合わせた両手のひらを、ゆっくりと、しずかに、離してみることができますか?離してみませんか?」「自分の両手のひらをゆっくりと離して、自分の両腕をしずかに、両側へ広げてみることができますか?」「自分の両腕が、両側へ充分に広がることができましたら、ゆっくりと静かに、自分の息を、ハーと吐き出すことができますか?自分の息を吐いてみませんか?」

「自分の両腕を広げることできましたら、また、ゆっくりとしずかに、自分の両手のひらを顔の前で、合わせてみることができますか?合わせてみませんか?」

「また、自分の両手のひらが、自分の顔の前で、合うことができたら、そこで、また、ハーと息を吐いてみませんか?」「自分の両手が、合うことができたら、また、ゆっくりと両手を離して、自分のからだの両側に広げて、ハーと息を吐くことができますか?息を吐いてみませんか?」

「今度は、目を閉じている人は、目を開いて、目を開けていた人は、目を閉じてみると、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」「自分の両腕を広げて、自分の息を、ハーと吐くとからだの感じは、いかがでしょうか?」

「それでは、事前に準備していた、小石やボールを自分の前に準備してください。」

「自分の目を閉じて、事前に準備した石やボールに、自分の両手で触れてみると、どんな感じでしょうか?」「石やボールに触れているときに、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」

「それでは、これから自分の片方の手のひらで、石を持ってみませんか?からだの感じは、いかがでしょうか?」「片方の手のひらで石をもって、自分の両手を、ゆっくりとしずかに、両側に広げてみることできますか?広げてみまませんか?」「両手を自分のからだの両側に広げて、自分の息を、ハーと吐き出すことができますか?息をハーと吐いてみませんか?」「石を持っている手と何も持っていない手の感じは、いかがでしょうか?」

「それでは、ゆっくりと、両手を下に降ろして、石をもとのところに置いてください。」

「自分の両腕が、休むことができましたら、今度は、自分の両手のひらを、ゆっくりとしずかに、自分の顔のホホに近づけて、自分のホホに触れてみませんか?自分のホホにしずかに、そっと触れることができましたら、自分の息を、ハーと吐き出してみませんか?」

「いま、自分の息をハーと吐き切りることができますか?ハーと息を吐き切ってみませんか?」

「自分のからだのなかの空気を、全部吐き切ることができましたら、また、両手をゆっくりと下に降ろして、休んでみてください。」

「自分の両手や両腕が十分に休むことができましたら、今度は、自分の両手のひらで、ゆっくりとしずかに、自分の肩、頸すじ、手のひらが届くところまで、自分の肩から背中のあたりに、触れながら、自分の肩を両手でストローク(さすること、なでること:stroke)してみませんか?」「自分の両手で、自分のあたま、顔、頸すじ、肩、腕、胸、はら、背中をできるだけ、ゆっくりとさすりながら、自分の息をハーと吐いてみると、いかがでしょうか?」

「自分の両手が届くところまで、ゆっくりとしずかに、自分のからだをさすることができましたら、今度は、自分の両腕を、ゆっくりとしずかに、上に持ち上げて、みませんか?」「自分の両腕が持ち上がるところまで、上がりましたら、ゆっくりとからだの両側へ伸びるとこまで、伸ばしてみませんか?」

「自分の両腕が、伸びるところまで伸びましたら、そこで、自分の息をハーと吐いてみませんか?」

「自分の両腕が、疲れてきたら、ゆっくりと下に降ろして、休んでください。」

「自分の両腕が、充分に休むことができましら、また、今度は、自分の両手のひらを広げて、自分のからだの前に、突き出して、息をハーと吐いてみませんか?」

「次に、前に突き出した自分の両腕を今度は、ゆっくりと静かに上に持ち上げて、上に上がるとことまで上がりましたら、そこで、自分の息をハーと吐いてみませんか?」

「自分の両腕が、からだの上や前、横に広げて、広がるところまで、広がったら、そこで、自分の息をハーと吐いてみると、いま、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」

「自分のペースで、できるだけゆっくりとしずかに、息をハーと吐いてみる、いかがでしょうか?」

「それでは、また、元のところに戻り、こまでの体験をみんさんで、シェアしませんか?いかがでしょうか?」 以上簡単ですが、トロントの世話人レズリーさんのSAWのご報告です。

昨日2月4日が立春ですが、北海道や東北地方、新潟、富山、石川の日本海側は大雪や寒さが続いているとニュースが伝えています。みなさまお元気で居て下さい。

2月5日 伊藤稔


SAW 2023年1月22日

人現会月例勉強会ご参加者のみなさま、先週日曜日1月22日午後2時から1月の勉強会ご参加ありがとうございました。先週の世話人ミスティーさんのSAWを私は、スキップしておりましたが、今日28日午前2時からの懐かしいジュディス先生のセンサリー・アウェアネスの実習(立つこと)に参加しましたので、簡単にご紹介させていただきます。日本からも3名の女性と山地さんの名前もありました。

 SAW開始15分前にZOOMに入りましたら、誰もおらず少し不安でしたが、すぐにジュディスさんが入ってきました。カナダのブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー市とワシントン州のシアトル市の境界のカナダ側のコルテス島(http://judythweaver.com/まるでシャーロット・セルバーが晩年、センサリー・アウェアネス・ワークショップを行っていたメイン州のモヒーガン島のような所)からとのことでした。最初ジュディスと私の2人だけでしたので、ジュディスさんが、部屋のドアを開いて、彼女のコテージの窓の外に見える樹海と静かな海を私に紹介してくれました。壁一面の大きな硝子窓からは、部屋の中からも大きな樹木が一望できるような部屋の造りでした。今日の実習テーマは、「木のようにスーと立つこと(standing like tree, nature in our neture)」でした。

 世話人ジュディスさんの最初の言葉は、禅語「日々是好日(everyday is deifferent day)」から始まりました。「いま自分の居るところで立ってみませんか?(come up to standing)」「いま、立っていますか?」「少し前の坐っていた自分と、いま、立った自分自身は、何か変化はありますか?」「(ゆっくりと時間をとりながら)いま、自分の足のかかと、足のうらの感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分のからだの重さを感じていますか?」「呼吸は、いかがでしょうか?」「立つことで、自分自身に何か変化はありますか?」「自分の肩、頸すじ、あたまの感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分自身のからだのバランスは、いかがでしょうか?」「立っている自分自身の脚の感じは、いかがでしょうか?」

「自分の脚の付け根、お尻、腰、背中、背骨、お腹、胸の感じは、いかがでしょうか?」

「いま、自分は、立っていますか?」「いま、自分自身が立つことができましたら、目を開いている人は、目を閉じてみることができますか?」「いま、目を閉じている人は、自分の眼を開いてみると、いかがでしょうか?」

「いま、目を閉じてみると、自分自身の立つことに変化はありますか?」「目を開いてみると、それまでのからだの感じに、変化はありますか?」

「目を閉じたことで、自分のからだの肩から頸すじ、口の中の感じは、いかがでしょうか?」

「いま、自分のかかとを少し、持ち上げてみることができますか?持ち上げてみませんか?」

「自分の足のかかとを少しだけ、ゆっくりと持ち上げてみると、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」「かかとを持ち上げることで、自分自身に、何か変化はありますか?」「いま、自分の脚、ひざ、もも、足の付け根、おしり、腰、背中、お腹、腕、肩、頸すじ、頸、あたまの感じは、いま、いかがでしょうか?」「それは、足のかかとをまた、元のところの床に降ろしてみると、からだの感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分は、ちゃんと立っていますか?いかがでしょうか?」

「それでは、次に、いま立ったままで、自分の両手の指先で、ゆっくりと、しずかに、自分のあたまのテッペンに触れてみることはできますか?触れてみませんか?」「両手の指先で、あたまに触れることで、自分の呼吸に変化はありますか?」「いま、自分の頸、あご、胸の感じは、いかがでしょうか?」

「いま、自分自身は、地球の重力を感じていますか?(gravity is attracting you ?)」「いま、目を開いてみる、目を閉じてみる、ことで、立つことに変化は、ありますか?」

「いま、世話人ジュディスさんのスピーカー・ビューの画面の後ろに見える樹たちの1本1本がすっと立っているのが見えますか?」「いま、自分自身は、樹たちのように立っていますか?いかがでしょうか?」「それでは、ゆっくりと自分自身のからだが、伸びたいように、伸びをしてみませんか?」

「充分に時間を取って、自分自身のからだが、伸びをすることができたら、これから自分のからだが横になってみませんか?床(ベッド)の上に体が横になることができたら、自分の横になったからだが立ち上がるまで、なるべくゆっくりと、10分(最初は2~3分で早すぎるようでしたら)ほど時間をかけて、できるだけゆっくりと横になった姿勢から、立つ姿勢になってみませんか?」「もしも、床が冷たいようでしたら、床に毛布を敷いたり、固いベットの上で、からだを横にして、なるべくゆっくりと、時間をかけて、立ってみませんか?」

「それぞれの居る場所で、ゆっくりと自分のからだが、横になって休んでいる状態から、今日は10分ですが、かつてシャーロット・セルバーは、立つことの実習を、1時間かけて行いました。」「私ジュディスが、鐘(日本の和尚さんが手に持つっている)をチーンという音を合図で、10分かけて、立つことを始めてください。」

「(鐘がチーンと鳴る)いま、横になっている自分自身のからだが、立とういう自分の意識がおこると、自分のからだの何処からからだの動きが始まりますか?自分自身が、できるだけゆっくりと立つことに意識していますか?」「いま、自分のからだが立つことを、自分自身が受け入れていますか?」「いま、自分のからだの動きを、止めないで、受け入れていますか?いかがでしょうか?」

「いま、自分自身が立とうするときに、自分自身のからだの重さを感じていますか?いかがでしょうか?」「いま、自分のからだの重さは、いかがでしょうか?(how are you now?)」

「いま、自分のからだが立とうとしている時に、地球の重力を感じていますか?」

「いま、自分のからだの動きの中に、からだのリズムがありますか?」「できるだけ、ゆっくりと立とうとする、自分自身のからだお動き、リズムを止めないでいますか?」

「できるだけ、ゆっくりと自分の『からだが立つこと』のブロセスを、いま、自分は、味わっていますか?自分のからだの立つことのリズムは、いかがでしょうか?」

「(10分終了)では、これから、これまでのみなさんの立つことのプロセスをシェアーしませんか?

いかがでしょうか」

以上簡単ですが、今日の早朝午前2時からの世話人ジュディス先生のSAWのご報告でした。

来週の金曜日2月3日は節分ですが、寒さが続きます。みなさまお元気で居て下さい。

1月29日伊藤稔




SAW 2023年1月15日

今日の夜半のSAWの世話人はメキシコシティーのマリエーラさんでした。
Outside In 
Right now, even the air is full of changes.
Rather than just labeling the weather, as good or bad,
Can we sense how these shifts in the world,
in which we live and move and have our being,
move through us?  
Is there a surprise in seeing our breath?
Is it changed by our seeing? are we? 
What does a sudden spate of rain or a puff of cold or warm air
awaken throughout us? 
How deep does it go, beneath our skin? 
shaping our alertness, our mood?
Does our standing change? our walking?
When the afternoon or morning light shifts,
What dims or brightens in us, in our relation to the whole of life?
Sensory Awareness offers the possibility of living more fully in our world,
moment by moment, and the world living more fully in us. 
If we taste these moments, rather than fill them with planning and review,
We see they are not a rehearsal for life.
 
They are life itself. 
We are life itself.
All part of one turning, unceasing change.
As we sense the next minutes arriving. . .
Are we drawn to change directions? 
To step outside? 
Or to hunker in?
「欲弁己忘言」(弁(の)べんと欲して己(すで)に言を忘る)このことばは、中国の詩人陶淵明の「飲酒」第五首の最後の1行です。同じようなことばは、『荘子』外物篇の中にも「意を得て言を忘る」ということばがあります。「中(あた)る」か中らないかは、ともかくとして上記のSAWの案内文に紹介されている英語のことばから道元禅師の「春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」が浮かびました。花も、ホトトギスも、月も、雪も、自分の外の世界から自分の中へ届いたときに、自分の感覚(からだ)が自ずから動いている。「自然とともに居なければ、人間は生きる、生きていくことができない。」ということを体験する時間が、「センサリー・アウェアネスの実習を通して訪れている時間ではないか」と思いました。そしたら、伊東博先生が夏目漱石の『吾輩は猫である』から引用したことばが浮かびました。
漱石は「猫」の後半部分で、デカルトの言葉を引用して「余は思考す、故に余は存在す」(デカルトの『方法序説』(1637)第4部の言葉で仏語;Je pense, donc je suis. のラテン訳Ego cogito, ego sum.この「cogito(コギト;英語の「cogitate;熟考する」の語源)」とは、単なる「考える」とう意味だけでなく「考えすぎる」という意味につながります。その理由を漱石は、デカルトが「思考力」を生み出すまでに「三つ子にでも分かる様な真理を考え出すのに十何年か懸ったそうだ。」と書いています。漱石が引用したデカルトの「考える」ことを、当時の日本人の「思考力」として捉えると、「凡て考え出すときには骨の折れるものである」と追加説明を加えて終盤では「吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果不自由を感じて困って居る。」と続けています。現在の日本の学校教育カリキュラムと重なるようです。「それだから西洋の文明などは一寸いいようでもつまり駄目なものさ。これに反して東洋ぢや昔から心の修行をした。その方が正しいのさ。見給え個性発展の結果みんな神経衰弱を起して、始末がつかなくなった時、王者の民蕩々たりと云う句の価値を始めて発見するから。無為にして化すと云う語の馬鹿にできない事を悟から。」と紹介していました。
すでに150年以上も前の江戸時代末、この世に生を受けた夏目漱石が、東洋人として、いち早く当時の西洋文明に触れて感得した結論が、現代社会の日本人のこころの問題をあぶりだしていたことを思い出しました。
伊東博先生や友田不二男先生がアメリカのカウンセリング研究を通してたどり着いた東洋思想(『易経』や『正法眼蔵』)と同じことをシャーロット・セルバーの『センサリー・アウェアネス』の実習を通して毎回感じております。また、原文で『正法眼蔵』や『老子』『荘子』『易経』をいまの自分の語学力では解読できませんが、英語で書かれているセンサリー・アウェアネスの平易な英語を通して、逆に分かったような気分(無分別)になってしまう危うさも、同時に、私は感じています。

1月15日 伊藤稔


SAW 2022年1月8日

実は、本日1月8日(日)夜半の午前2時から、今年最初のセンサリー・アウェアネスの実習の世話人は、昨年の1月1日の世話人同様レイ(Ray Fowler)さんでしたが、私は寝坊をしてしまい、ZOOM参加できました。レイさんの実習は、昨年末のクリスマスの勉強会の時に行いました「触れること(staying in touch)注:シャーロットは、生前「触れることは、人間のみのり(harvest)」の中で、自分のからだに触れるとう最初の行為が、「さすること(rubbing and stroking)」であることにびっくりしました。(注:人間が誕生する時も、お母さんの産道を通るとき、お母さんの陣痛は、赤ちゃんのからだ全体を、陣痛力で、さすること?すべての人は、この世に誕生する瞬間、からだ全体をさすられていることで、自分の力で呼吸ができるようになる、産声を上げる準備ができる、人間だけでなく、多くの生きとし生けるものが同じようにこの世に生を受けている営みの根源でもあるのかな?センサリー・アウェアネスは?)
その時に、夢ちゃんから、「伊東博先生の『身心一如のニュー・カウンセリング』の中に紹介されている「朝の目覚め」(155頁)実習の第1番目の最初に、下半身のスラッピング①右の足・脚、左の足・脚の全面を、脚のつけね、お尻に至るまでさする。」と、ちゃんと書いてあると指摘されました。
 私は、「ハッ」としました。それまで思い込みで、全身を(ていねいに)さする前に、タッピングをしていました。全く気づきませんでした。ちゃんと伊東博先生は書いてる。見えども見えず、読めども、読んでおりませんでした。やはり、ZOOMを通しての勉強会ですが、自分自身がドキリとする発見と気づきがあることを体験できました。参加者のみなさまに感謝申し上げます。ありがとうございました。
そこで、2021年1月2日(土)日本時間1月3日午前2時からの最初の世話人は、誰だったかを2年前(コロナのパンデミックが始まった翌年)にさかのぼり調べてみました。
2年前の世話人は、現在、センサリー・アウェアネス財団代表理事を務めているステファンさんでした。ステファンさんは、次のような言葉でセンサリー・アウェアネスの実習をスタートしました。「新年あけましておめでとうございます。いま世界中で、新型コロナウィルスのパンデミックが、各地で続いていますが、どうか、しばらく、しずかに、何もしないで居ることができますか?」
「あなたの目が閉じて、みることができますか?」
「いま、あなたの静かさの中で、新しい気づき(new sensation. What this new sensation?)がありますか?)」「いまのあなたの身心の感覚は、いかがでしょうか?」
「これまでの身心の感覚、今、このときあなたの身心の感覚は、いかがでしょうか?」
「あらためて、自分の存在(alive represent or not)の感覚は、いかがでしょうか?」
「いま、ここでのあなたの経験(体験)は(experiencing new moment, new sensation through your pre-occupied, beyond yourself) いかがでしょうか?」
「いま、自分の中に届いてくる音が、聞こえていますか?(focus hear around you ?)」
「いま、この静寂の中で、何が聴(listening inside you)こえてきますか?あなたの中に?」
「もしも、いま、静かに、目を開くことができたら、開いてみると、いかがでしょうか?」
(open your eyes simply what you see, look around, what you hear with us.)
「いま、ここに居て、何が、自分の目に入ってきますか?(It’s just there, look around to see free.)」
「ただ、ただ、あなたが、見えてくるものは、何でしょうか?(so much simple it’s own knowing what color mention ?)」
「それでは、また、目を閉じてみると、いかがでしょうか?(you will feel what come to you.)」
「いま、あなたの身心の感覚は、いかがでしょうか?あなたが目を閉じた後も、あなたの瞼に何かの感覚が残っていますか?(sensation memory what you saw settle in when you close your eyes. What other is ? )」「いま、あなたの座っている椅子は、いかがでしょうか?」
「あなたのからだの感覚(皮膚)は、いかがでしょうか?」
「いま、あなた自身は、床から支えられていますか?」
「いま、あなた自身は、あなたの身のまわりの空気を感じていますか?」
「いま、あなたの呼吸は、いかがでしょうか?」
「いま、ここで、あなたの呼吸は、あなたの周りの空気と繋がっていますか?」
(under your present of air, you can breath resisting the air. This intimate exchange always present.)
「いま、あなたの体験は、いかがでしょうか?」
「私は、宗教的な人間ではありません。ただ、いまここに居るだけです。」
「では、また、あなたが目を閉じることができますか。閉じてみませんか?」
「参加している人の中には、いま、ここに居ることが、ミステリアスに感じているかもしれません?」
「いま、あなたの呼吸は、いかがでしょうか?」
「あなたのいまの身心の体験を、あなた自身が、受け入れることができますか?」
「いま、あなた自身が、心の中で、自分自身に何かを話かけていますか?」
(may be possible talking to your self or some of you. Everything happen itself.)
「いま、あなたの呼吸は、いかがでしょうか?」
「いま、あなたは、自分の呼吸を意識していますか?自分の呼吸に気付いていますか?」
「いま、あなたは、自分のからだに地球の重力を感じていますか?」
「いま、あなたは、自分の身心を信じることができますか?(you can trust it hold your body and breath)」
「いま、あなた自身が、目を開く準備ができましたら、目を開くことができますか?」
(Before new your activities to be present when you ready to open your eyes.)
「いま、あなたの呼吸は、いかがでしょうか?」
「いま、世界中がパンデミックの中でも、私たちは、自分の呼吸を続けています。」
「いま、あなたが目を開いて、見えているものと一緒にいますか?」
「いま、あなた自身は、地球の重力を感じていますか?」
「あなた自身は、地球の重力に、応えていますか?(feel gravity, response gravity)」
「それでは、いまから、あなたの居る場所で、立つことができますか。立ってみませんか?」
「いま、ここで、あなた自身が、立ってみると、自分の周りの空気は、いかがでしょうか?」
「いま、あなた自身は、地球に支えられていますか?」
「いま、ここで、あなた自身と重力のバランスは、いかがでしょうか?」
「いま、あなたが立っている、周りに在るものを、何か手に取ってみることができますか?」
「いま、あなたが手にしたものに手で触れている感触は、いかがでしょうか?」
「いま、あなたが手にしているものを、すこし、ゆっくりと、動かしてみることができますか?」
「あなたの手で触れているものの重さは、いかがでしょうか?」
「あなたが手で触れているものと地球の関係は、いかがでしょうか?(relationship with the earth, interactive with things)」
「つぎに、自分の腕を持ち上げてみると、あなた自身の感覚は、いかがでしょうか?」
「いま、手を持ち上げてみると、あなたの地球の引力(重力)との関係は、いかがでしょうか?」
(relationship with touch the earth make sense)
「いま、地球の重力に応じていますか?(Can you response in you?)」
「いま、あなたの腕を動かすことができますか?(Could you move your arms?)」
「いま、ここで、あなたは、地球の重力との関係は、いかがでしょうか?」
「あなた自身のからだの感じは、いかがでしょうか?」「あなたの足や腕をゆっくりと動かすことができますか?」「いま、あなたが動いているからだは、地球の重力を感じていますか?」
「あなたの腕をあちら、こちらに動かしてみると、地球の重力を感じますか?」
「あなたが、いま立っているところから、少しだけ、ゆっくりと歩いてみる事ができますか?」
「いま、あなたが「歩くこと」、「見ること」、「からだが動くこと」と地球の重力の関係は、いかがでしょうか?」
「あなたが、何かを見ようとする時に、あなたの歩みは、どのようでしょうか?」
(How you treated to walk when you look ? Touch your self)
「いま、あなたのからだの感覚は、いかがでしょうか?」
「あなたの背中、あなたの肩は、いかがでしょうか?いま、あなたが、ふれているものの感じは、いかがでしょうか?(everything you touch)」
「あなたが触れている、地球の一部分の感じは、いかがでしょうか?(a piece of the earth)」
「あなたの呼吸は、いかがでしょうか?」
「いま、あなたの思考は、あなたの聴覚は、あなたの認識は、あなたの感覚は?」
(breathing, thinking, hearing, knowing, feeling ?)
「いま、ただ、ただ、ここに居ること(only been present)」
「いま、ここで、自分の全存在と地球の関係は、いかがでしょうか?(myconnection of the earth. Communicate and let be together the world)」
「それでは、これまでの、みなさんの体験をシェアーしませんか?」
以上が、2年前の2021年1月3日のステファンさんのセンサリー・アウェアネスの実習でした。

2023年1月8日 伊藤稔


SAW 2022年12月19日

昨日の月曜日の早朝12月19日午前5時(ニューヨーク時間18日午後3時)から、世話人レイ(Ray)さんのワークショップの簡単なご報告です。私事、12月1日(木)から2週間ほど、チェコのプラハに出張しておりました。先週12月13日(火)に帰国しました。そのため3週間SAWの報告ができませんでした。今回の世話人レイさんによるスモール・グループのセンサリー・アウェアネスの実習報告が今年の最後になります。レイさんのSAWは、10月10日からスタートして、隔週の現地時間で日曜日の午後3時(日本時間で月曜日の午前5時から6時30分まで1時間30分間)行われてきました、毎回約15名程度の参加者は、ドイツ、ベルギー、メキシコ、スコットランド、サンフランシスコ、ロスアンジェルスなどなど、様々な国や地域から参加しています。世話人レイさんは、このスモール・グループを対象に、毎年8月上旬に、シャーロットが長年センサリー・アウェアネスの実習を行っていたメイン州のモヒーガン島でワークショップを準備しているそうです。まもなく案内書を郵送してくれるとのことでした。

今週月曜日の早朝の実習のテーマは、「触れること(staying in touch)」でした。シャーロットは、生前「触れることは、人間のみのり(harvest)」と話していたそうです。

(注:伊東博訳『センサリー・アウェアネス』17章(143-157頁)から、「ワークショップが終わったあとでも自分ひとりで、感じる実習をつづけていくようにならなければ、私どものクラスを長く続ける値打ちはありません。・・・赤ん坊は、ほとんでその誕生の瞬間から、動と静(action and quiet)のリズムのなかに生まれてくるのです。」)

 世話人レイさんの静かな声で、「いまいる自分の場所で、しずかに自分の呼吸を感じていますか?(just presence)」「これから、自分の手の指先で、自分のからだに触れてみませんか?」「しずかな気持ちが訪れましたら、ゆっくりとしずかに、そっと、自分の胸に触れてみませんか?」「自分の呼吸は、いかがでしょうか?」「いま、自分の呼吸を感じていますか?」「じゅうぶんに胸を触れることができましたら、もう片方の手のひらを自分のあたま(オデコ)に当ててみると、どんな感じでしょうか?」

「触れている手のひらが、疲れてきたら、触れている手のひらを替えてみませんか?」

「次に、自分の両手のひらで、自分の頸すじあたりに、しずかに触れるとどんな感じでしょうか?」

「自分の両手のひらで、ゆっくりとしずかに、自分のあたま、顔、頸すじ、両肩、脇、腕、手、背中、お腹、腰、お尻、モモ、ヒザ、すね、足首、かかと、足のウラ、つま先に、触れてみることができますか?」「充分に、自分のからだを自分の手の指先で、全身を触れることができましたら、今度は、自分の手のひらで、自分のからだをさすって(rubbing and stroking)みませんか?」

「できるだけ、ゆっくりと、しずかに、自分のからだに触れながら、自分のからだのあちこちら、こちらをさすってみるとどんな感じ(generating)でしょうか?」「もしも、坐った姿勢から、立ちたい人は、立って、自分のからだに触れてみませんか?いかがでしょうか?」

(注:同書から、「自分の手を、自分の意思を伝える器官としてではなく、知覚の器官として使ってみているのです。それができるためには、手に本来備わっている感受性や弾力性をだんだんと再発見しなければなりません。・・・からだの構造に気づいたり、それに自分を適応させていくような自由をもてるようになっても、バランスを感じとり、それに自分を合わせていくのは、やさしいことではありません。・・・バランスの微妙なニュアンスが失われたり、そのバランスは絶えず変化しています。というのは、それは決して機械的な平衡なのではなく、生体(いのち)が自己をたえず更新するために平衡をとろうとしているからなのです。・・・ただ触っているだけなのですが、・・・(自分自身を)「取り扱われ」(handled)ているとか、抑制されているとか、押し付けられているとか、・・・ほんとうはまったくさわられていない、というように感じているかもしれないのです。146頁」)

「昨日の早朝11月21日午前5時(ニューヨーク時間20日午後3時)から、世話人レイ(Ray)さんのワークショップの簡単なご報告です。実は、10月10日から隔週で世話人レイさんのスモール・グループ(25人程度、日曜日の午後3時から6回シリーズ)に参加しています。日本で月曜日の早朝でもあり、毎週土曜日の夜中の2時からよりも参加がしやすいと思い申し込みました。一昨日21日の朝で4回目になります。ちょうど欧米の冬時間で、11月からは、日本時間で月曜早朝5時からです。私には、伊東博先生のニュー・カウンセリングの「朝の目覚め」の実習に参加しているように感じています。

 レイさんと私は、ほぼ同時に4時45分(現地時間日曜日の午後2時45分)で、ワークショップ(1時間30分)開始前にレイさんの声の調子やカメラの目線(フォーカス)を私と確認しました。また、伊東博先生も用いていた日本のお仏壇にある(チーンと鳴らす)鐘音も確認しました。レイさんの雰囲気が、晩年の伊東博先生の姿と重なりました。レイさんの最初の実習のスタートは、「観ること、見ること」です。

 朝5時になると、25名の参加者がZOOMの前に集まりました。レイさんの静かな、ゆっくりした声で、「それでは、目を閉じてみることができますか?目を閉じてみませんか?自分の目のまぶたを静かに降ろしてみることができますか?」「ゆっくりと、しずかに自分のまぶたが、下まで降りることができましたら、いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」

「いま、自分の居る場所で、自分のまわりの外の世界を感じていますか?(you can feel outside.)」

「静かな気持ちが、自分の中に訪れましたら、ゆっくりとまぶたを持ち上げて、目を開くことができますか?目を開いてみませんか?」「いま、目をゆっくりと、静かに開くと、何か見えますか?いかがでしょうか?」「もしも、目を開いて、自分の(部屋の)まわりの様子で、見たいものがありましたら、しっかりと見ることができますか?」「もしも、窓の外の景色が見える人は、自分の部屋の窓の外の景色はいかがでしょうか?」「いま、何が見えていますか?自分の呼吸は、いかがでしょうか?」

「いま、自分の目で見ているもの(visible)を充分に見ることが出来ましたら、また、ゆっつくりと静かに、目を閉じてみませんか?」「自分のまぶたを再び、ゆっくりと静かに、下に降ろしてみると、どんな感じでしょうか?」「いま、目を閉じても、自分で何か観ようとしていますか?いかがでしょうか?」「いま、目を閉じていて、自分が何かを観ようとしていますか?いかがでしょうか?」

「いま、自分で観ようとしていることを、やめることができますか?」「ゆっくりと、しずかな気持ちになりましたら、自分の片方の手の指先で、自分の閉じている目の片方のまぶたにしずかに、ゆっつくりと触れてみませんか?」「いま、自分の指先で、片方のまぶたに触れ

自分のからだの全身に「触れること」ができたと感じることができましたら、これまでの経験をみんさんで、シェアーしませんか?」「いかがでしょうか?」

以上簡単ですが、レイさんの「自分のからだに触れること」の実習報告でした。

12月20日 伊藤稔


SAW 2022年11月21日

昨日の早朝11月21日午前5時(ニューヨーク時間20日午後3時)から、世話人レイ(Ray)さんのワークショップの簡単なご報告です。実は、10月10日から隔週で世話人レイさんのスモール・グループ(25人程度、日曜日の午後3時から6回シリーズ)に参加しています。日本で月曜日の早朝でもあり、毎週土曜日の夜中の2時からよりも参加がしやすいと思い申し込みました。一昨日21日の朝で4回目になります。ちょうど欧米の冬時間で、11月からは、日本時間で月曜早朝5時からです。私には、伊東博先生のニュー・カウンセリングの「朝の目覚め」の実習に参加しているように感じています。

 レイさんと私は、ほぼ同時に4時45分(現地時間日曜日の午後2時45分)で、ワークショップ(1時間30分)開始前にレイさんの声の調子やカメラの目線(フォーカス)を私と確認しました。また、伊東博先生も用いていた日本のお仏壇にある(チーンと鳴らす)鐘音も確認しました。レイさんの雰囲気が、晩年の伊東博先生の姿と重なりました。レイさんの最初の実習のスタートは、「観ること、見ること」です。

 朝5時になると、25名の参加者がZOOMの前に集まりました。レイさんの静かな、ゆっくりした声で、「それでは、目を閉じてみることができますか?目を閉じてみませんか?自分の目のまぶたを静かに降ろしてみることができますか?」「ゆっくりと、しずかに自分のまぶたが、下まで降りることができましたら、いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」

「いま、自分の居る場所で、自分のまわりの外の世界を感じていますか?(you can feel outside.)」

「静かな気持ちが、自分の中に訪れましたら、ゆっくりとまぶたを持ち上げて、目を開くことができますか?目を開いてみませんか?」「いま、目をゆっくりと、静かに開くと、何か見えますか?いかがでしょうか?」「もしも、目を開いて、自分の(部屋の)まわりの様子で、見たいものがありましたら、しっかりと見ることができますか?」「もしも、窓の外の景色が見える人は、自分の部屋の窓の外の景色はいかがでしょうか?」「いま、何が見えていますか?自分の呼吸は、いかがでしょうか?」

「いま、自分の目で見ているもの(visible)を充分に見ることが出来ましたら、また、ゆっつくりと静かに、目を閉じてみませんか?」「自分のまぶたを再び、ゆっくりと静かに、下に降ろしてみると、どんな感じでしょうか?」「いま、目を閉じても、自分で何か観ようとしていますか?いかがでしょうか?」「いま、目を閉じていて、自分が何かを観ようとしていますか?いかがでしょうか?」

「いま、自分で観ようとしていることを、やめることができますか?」「ゆっくりと、しずかな気持ちになりましたら、自分の片方の手の指先で、自分の閉じている目の片方のまぶたにしずかに、ゆっつくりと触れてみませんか?」「いま、自分の指先で、片方のまぶたに触れている感じは、いかがでしょうか?」「もう片方の触れていない、目の感じは、いかがでしょうか?」

「自分の眼のまぶたの内側(inside)の感じは、いかがでしょうか?」「片方の目のばぶたに触れられている感じは(outside)は、いかがでしょうか?」

「充分に片方の目のまぶたを触れることが出来ましたら、今度は、両手の指先で、両目のまぶたを触れてみると、どんな感じでしょうか?左右の目の感じは、いかがでしょうか?」

「両手の指先で、両目のまぶたを触れることができましたら、その両手の指先で、ゆっくりと静かに、自分の顔の両側から、自分のほほ、ほほからあご、あごから頸すじに、しずかに触れてみると、どんな感じでしょうか?」「両手が疲れてきたら、ゆっくりと、しずかに、また下に降ろしてみて下さい。」

「両手を下に降ろして、ゆっくりと休むことが、できましら、立つことの準備(allow you come to standing)をしてみませんか?」

「それでは、これから今いる場所で立ってみませんか?いかがでしょうか?」

「ゆっつくりと、しずかに、その場所に自分が立つことが出来ましたら、立った自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」「足ウラと床(たたみや板の間)の感じは、いかがでしょうか?」「自分が立つことで、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?かかと、足首、くる節、ふくらはぎ、足のすね、ヒザ、モモ、脚の付け根、股関節、腰、下腹、お腹、背中、胸、肩、頸すじ、くびの付け根、あご、のど、ほほ、口びる、口のなか、鼻、目、まぶた、コメカミ、おでこ、耳、あたま、の感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分のからだは、ちゃんと立っていますか?からだの感じは、いかがでしょうか?」

「それでは、これから、自分の両腕をしずかに、ゆっくりと上に持ち上げてみることができますか?自分の両腕を上に、持ち上げてみませんか?」「自分の両腕が、上に持ち上がるところまで、持ち上げることができましたら、今度は、ゆっくりとしずかに、下に降ろしてみませんか?」

「自分の持ち上げている両腕を、自分のからだの前の方へ、ゆっくりと、しずかに下におろして、そのまま、自分のからだの上体(腰から上のからだ)も、ゆっくりとしずかに、重力にまかせて、自分の上体を下へ降ろしてみませんか?いかがでしょうか?」

「自分の上体がしずかにゆっくりと下に降りるところまで、降りましたら、自分のからだの上体を、ぶらぶらと揺することができますか?(ニュー・カウンセリングのぶら下がり)」

「自分の上体の両腕が、床についているかもしれません、自分の上体を重力にまかせて、ゆすると、からだの感じは、いかがでしょうか?」「これは、体操ではありません、ただ、からだの感じを感じてみることができますか?(This is not exercise, just feeling.)」

「自分のからだの上体が、重力にまかせることができましたら、今度は、ゆっくりと、しずかに、自分のからだの上体を、上に持ち上げてみませんか?(からだのぶら上がり)」「自分の上体が、上にしずかに、ゆっくりと、からだにかかる重力に抗して、からだが、上にあがる感じは、いかがでしょうか?」

「背中の脊椎の骨が1つ、1つ、自分のからだを支えていく感じは、ありますか?いかがでしょうか?」

「自分のからだの上体が、まっすぐ上に上がりきることができましたら、いま、自分のからだが、立っている感じは、いかがでしょうか?」

「いま、自分のからだの重心は、からだの真ん中にありますか?」「いま、自分のからだは、立っていますか?」「いま、自分のからだが、立っている感じは、いかがでしょうか?」「いま、呼吸は、いかがでしょうか?」

「いま、自分のからだが、ちゃんと立つことができましたら、自分のからだの重心を右側へ少し、移動すると、自分のからだに何か、変化はありますか?右側の脚の感じは、いかがでしょうか?」

「次に、いま、目を閉じている人は、目を開ていみる、からだの感じは、いかがでしょうか?目を開いている人は、目を閉じてみると、からだの感じは、いかがでしょうか?」

「これから、自分のからだが立っている状態で、じぶんのからだのあちら、こちらの関節の状態の感じは、いかがでしょうか?もしも、自分のからだの関節の中で、動くことができれば、そのからだの関節の場所を、ゆっつくりと、しずかに、動かしてみませんか?」

「自分の手の指の関節は?、手首の関節は?、いかがでしょうか?自分の肘の関節はいかがでしょうか?肩の関節は、頸すじの関節は、いかがでしょうか?」

「自分の足の指の関節は?足首の関節は?ヒザの関節は?脚の付け根の股関節は?腰のまわりの関節は?いかがでしょうか?」「いま、自分のからだの関節が、動くことができますか?」「自分のからだの関節が動くと、からだの感じは、いかがでしょうか?」「じぶんのからだの関節のあちら、こちらで、自分のからだが、全体として、つながっている感覚はありますか?」「自分のからだの関節を通して、1つの自分のからだの感覚は、いかがでしょうか?」「いま、自分のからだの、あちら、こちらの関節が動くことができましたら、また、元の自分のいた場所に戻って、これまでのみんさんの体験をシェアーしませんか?いかがでしょうか?」以上簡単ですが、今週21日月曜日の早朝5時から6時30分までのレイさんのSAWのご報告です。

11月23日 伊藤稔

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