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センサリー・アウェアネス・ワークショップ (2022/5/1〜7/17)

SAW 2022年7月17日


今日7月17日午前1時からセンサリー・アウェアネスの世話人はミスティー(Misty Hannah)先生でした。午前0時45分ころZOOMに入るとニューヨークのシェリーさんとLAサンタモニカのサラさんの2人でした。シェリーさんからは、「ミノルはいつも真夜中の日本から参加ですね」と声を掛けられたので、「センサリー・アウェアネスは、自分の生活の中の1部分になってきています。」と私が返答すると、サラさんからは「私にとって、センサリー・アウェアネスは、生活そのもの(生活禅)です。」と返されました。3年に及ぶコロナ禍で、週末のセンサリー・アウェアネスの実習は、ほかの世界中の参加者の人たちも、ニュー・カウンセリングと同様に、「おのおの人間の生活の中に定着している」と思いました。

 ミスティー先生のSAWの事前案内では、輪ゴム(rubber band:台所の輪ゴムや髪毛を束ねるゴム輪)を事前に準備してください、とアナウンスがありました。今日のZOOMホストはNYのシェリーさんでした。午前1時になるとシェリーさんが、今日の世話人のミスティー先生を簡単にご紹介しました。

彼女はもともと、カリフォルニアのサンフランシスコ出身で、現在は、英国スコットランドのエジンバラにお住まいで、特に、難病の終末期医療を受けている人々に、緩和ケアの1つとして身体療法の中にセンサリー・アウェアネスの実習を取り入れているそうです。ミスティさん自身が、CIC(Compassionate Accompaniment CIC (Community Interest Company)は、終末期緩和ケア・ともに終末期を生きるということ)立ち上げて、英国で活動しています。ミスティーさんは、人間の終末期緩和ケアだけでなく、患者本人は、もちろんご家族も含めて、患者さんが亡くなった後のご遺族の心理的なサポートも行っています(URL:https://www.compassionateaccompaniment.com/)。また、人間だけでなく、家族の一員としてペットの死後の、家族のペット・ロスの喪失感も含めて、身心のケア活動をしています(End of Life Companion with a focus on grief support)。

 ミスティー先生は、静かな声で、「これから、自分に訪れる静かな時間を待つことができますか?待ってみませんか?(quiet without knowing, what do you feel right now ? keeping being with in you ?約15分間しずかに待ちました。)」

「それでは、なるべくゆっくりと、いま居る自分のからだの姿勢が、少しだけ、からだの片方の側へ移動することことができますか?ゆっくりと少しだけ、からだの重心を移動してみませんか?」「自分のからだの重心を、片方の側に、ゆっくりと少しだけ、移動すると、いまの自分の呼吸に何か変化はありますか?(How is your breath here ?)」「自分のからだのバランスはいかがでしょうか?自分のよこ腹、胸、肩、くび(頸)、くびすじ、あたまの感じは、いかがでしょうか?」「からだが疲れてきたら、また、もとのところの真ん中に、自分のからだの上体を戻してみませんか?」「今度は、先ほどと反対側へ、自分のからだを、ゆっくりと、すこしだけ静かに、からだの上体を移動すると、いかがでしょうか?自分の呼吸はいかがでしょうか?」

「自分のからだの上体をゆっくりと静かに、自分のペースで、左右に移動してみませんか?からだの感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分が椅子に坐って、左右に移動しても、その場所に、自分が立ち上げっても、床に横になっても大丈夫です。自分のからだを左右に、ゆっくりと、静かに、上体を移動すると、からだの感じは、いかがでしょうか?。」

「いま、自分の呼吸はいかがでしょうか?」「自分のからだの重心の移動がスムーズにできましたら、また、元の場所に戻って、椅子に坐ってみませんか?」「次に、事前に準備していた、輪ゴム(rubber band)を両手の親指に掛けてみることができますか?輪ゴムを自分の両親指に掛けてみませんか?」

「両親指に掛けた輪ゴムを、静かに、そっと、両親指を離しながら、外側へ引っ張ってみることができますか?輪ゴムを両親指で、外側へ、ゆっくりと静かに引っ張ってみませんか?」

「最初は、ゆっくりと静かに、輪ゴムが、伸びるとこをまで、両親指で、輪ゴムを外向きに引っ張ってみると、いま、自分の肩、くび、腕、あたまの感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」

「輪ゴムが、両親指で、引き伸ばして、伸びるところまで、伸びたら、また、ゆっくりと、両親指が引っ張なくてもいいくらいまで、しずかに、ゆっくりと、もとのところに両親指を近づけてみると、からだの感じは、いかがでしょうか?」

「何回が、自分のペースで、両親指で、自分の輪ゴムをゆっくと静かに、伸ばしたり、もとに戻したりしてみると、からだの感じは、いかがでしょうか?呼吸は、いかがでしょうか?」

「それでは、今度は、いま居るところで、坐ったままでも、立ち上がって、立った姿勢になってから、両手・両腕を、ゆっくりと、静かに、両側へ伸びるところまで、広げてひることができますか?両手・両腕を、自分のからだの両側へ広げてみませんか?」「自分のからだが、両側へ広がる感じは、いかがでしょうか?」「自分のからだが、両側へ広がるところまで、広がることができたら、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」

「自分のからだが、広がるところまで、ひろがることができたら、今度は、ゆっくりと、静かに、両手・両腕を、自分のからだの方へ、近づけて、自分の両手・両腕をからだの方へ縮めることができますか?縮めてみませんか?」「両手・両腕で、自分のからだを包んでみることができますか?自分のからだを包んでみませんか?」「ゆっくりと静かに、自分の両手・両腕で、自分のからだを外側へ広げて、伸ばしてみたり、内側へ縮めてみたりたりすると、からだの感じは、いかがでしょうか?」

「何回か、自分の呼吸に合わせながら、からだを広げたり、縮めたりすると、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」

「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」「自分のからだが、外側へ広がる感じは、いかがでしょうか?」「自分のからだが、内側へ縮む感じは、いかがでしょうか?」「いま、からだの感じは、いかがでしょうか?」「それでは、これから、自分の体験をみんさんで、シェアーしませんか?いかがでしょうか?」

今日の夜中のスコットランド在住の世話人シェリーさんのセンサリー・アウェアネスの実習の簡単なご報告でした。

7月17日 伊藤稔



SAW 2022年7月10日


今日7月10日午前1時からセンサリー・アウェアネスの世話人はステファン(Stefan Laeng)先生でした。最初午前0時45分ころZOOMに入るとステファンさんと2人でした。そこで、ステファンさんから、「安倍元総理大臣の暗殺に、弔意のことばを頂きました。(I’m very sorry Japanese farmer Prime Minister Abe was Assassinated.)」の言葉を受け取りました。日本の国内ニュースだけでなく、アメリカ社会や欧米にも大きく報道されたことに驚きました。ステファンさんは、3年前の2020年4月から、すでに10回以上SAWの土曜日フリー・ワークショップの世話人を担当してきました。現在は、センサリー・アウェアネス財団(SAF)の代表理事を務めて、特にステファンさんの祖国ドイツで、毎年ヨーロッパの方々にセンサリー・アウェアネスの実習を行ってきました。特にシャーロット先生の亡くなるまでの最晩年の13年間(1990-2003)は、彼女に付き添いセンサリー・アウェアネスを学び続けて、そのシャーロット先生のSAW体験をユーチューブにアップしています。ステファンさんの今日のSAWの紹介メールでは、次のように書かれていました。

In the beginning, some of our experiences in Sensory Awareness are quite new and surprising, as we experience our standing or the touch of our own hand in new ways. But if we come to seek only the novel, we could miss the power of Maturity. In Maturity, we may become aware of the endless pouring forth of Life itself – as us.   

Maturity has little to do with how long we have practiced. It arrives as the ability to recognize what is deep, stable and continuously nourishing beneath the play of the novel and the familiar. Though our experiences fluctuate, what sustains them is always fresh and accessible in the full, simple attention we call Sensory Awareness. Hand to forehead, or footsole to floor, arm rising through air, finding its own path up, we are alive in a new way: the novel and the familiar and the now deeply known give us the hint that we are not just alive, but are Life itself.

(意訳:最初は、センサリー・アウェアネスで体験するいくつかの実習は、例えば、ただ、ただ、「立つこと」や「シンプル・コンタクト」のような、自分の手のひらで、「ただ、ただ、自分のからだや身の回りのものに触れてみること、感じてみること」だけですが、自分の体験として、これまで気づいたことが無い、新鮮な体験(経験)であるかもしれません、「ハッとするような」驚く体験かもしれません。しかし、頭で「言葉だけ(the novel)」を探すようになると、自分が生まれ持った(生きている)力に気づかない、ままになるかもしれません。(センサリー・アウェアネスの実習の中で)三昧(悟り)の境地になること(Maturity)と、私たちは、「生きるということ(Life itself)」、そのものが「気づきの連続であること」を体験することができるかもしれません。

「三昧の境地になるということ(成熟Maturity)」は、私たちがどれだけ長く練習(have practiced)してきたこととは、ほとんど関係がありません。「その三昧の境地になるということ」は、自分のすきな(夏目漱石の)小説やおなじみの(シェークスピアの)演劇(芸術)を通して、深く、安定して、継続的に、自分自身の身心に栄養を与えているものになることに気づくかもしれません。私たちの日々の体験は変化していますが、その日々の自分自身の体験を支えているものは、常に新鮮であり、私たちがセンサリー・アウェアネスと呼ぶところの「気づき」は、常に、単純に、日々、人間が生ていることの証です。例えば、自分の手のひら、からあたまの額、または、自分の足のウラの踵から床、自分の腕が、自分の身の回りの空間の中をゆっくりとしずかに、上にあがっていくプロセスで、自分の腕が、自然に、自ら独自の道を見つけて、腕がゆっくりと上に持ち上がり、私たちは、常に新しい体験の中で生きていることに気づきます。その意味は、私たちが生きているということ、小説や親しい人間との出会いを通して、生きることの意味を考えるだけでなく、(センサリー・アウェアネスの実習は、)人間の「生きる」ということ、そのものなのです。)

URL:Pathways of Sensory Awareness 

 ステファンさんの今日の実習は、「いま、自分はここにいること、自分の存在そのものが、感じられるようになるまで、しばらく、静かな、穏やかな時間が訪れるまで、待ってみませんか?待つことができますか?(I guide today to be peace in your presence.)」という言葉かけから始まりました。

「いま、ここにいること、しずかに、おだやかな平和な時間が訪れるまで、ただ、ただ、じっとしていることができますか?いまいるところで、しずかな時間が訪れてきますか?(to be quiet for a while, still deep, full simple attention, sensation, quietly, clearly ?)」
(*約15分ほど時間がありました)

「それでは、これから、自分の両手のひらで、自分のあたまの前側と後側に、しずかに近づけて、みることができますか?近づけてみませんか?」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?(sensation of your breath with in, with out )」

「両手のひらで、自分のあたまの前側と後側から触れる準備ができましたら、しずかに、そっと自分の手のひらで自分のあたまの前側と後側から、触れてみませんか?」「いま、自分の手のひらで自分のあたまに触れている感じは(new connection)、いかがでしょうか?(lisning to the news)」

「いま、もしも、目を開いている人は、自分の目を閉じることができますか?閉じてみませんか?(eyes close where in your quiet in peace)」「いま、自分の目を閉じると、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」「自分の目を閉じると、自分の目の裏側の感じは、いかがでしょうか?(behind your eyes)」「いま、自分のくちびるの感じは、いかがでしょうか?」「いま、椅子に坐っている方は、おしり(sitting bone)の感じは、いかがでしょうか?」「自分のあたまの両耳の間の空間は、いかがでしょうか?」「自分の両脚の間の感じは、いかがでしょうか?」

「自分の両腕が、疲れてきたら、ゆっくりと下に降ろして、休んでください。」

「自分の両腕が、ゆっくりと休むことが出来ましたら、今度は、自分の両手のひらで、ゆっくりと、静かに、自分の両目に近づけて、みることができますか?近づけて、みませんか?」

「自分の両手のひらを自分の目に近づけて、自分の両目を覆うことができますか?静かに、ゆっくりと、覆ってみませんか?」「目を開いていても、目を閉じていても大丈夫です。」

「自分の手のひらで、自分の目を覆うと、いかがでしょうか?」「自分の目を、自分の手のひらで覆うと、暗くなりますか?」「自分が、何かを観ようとしなくても、自分の目は、明るさを感じていますか?暗いですか?明るいですか?いかがでしょうか?」

「次に、しずかに自分の手のひらで、自分の目のまぶたに触れることができますか?そっと触れてみませんか?(simple touch in your hands)」

「自分の目を閉じていても、いま、あなたは、目を閉じたままで、何かを観ようとしていますか?」「自分の目を閉じても、何か観えてきますか?」「いま、呼吸は、いかがでしょうか?」

「自分の両手が疲れてきたら、静かに、ゆっくりと、目から離して、下に降ろしてください。」

「両手を下に降ろして、ゆっくりと、休むことができましたら、次は、いまいるからだの姿勢から、横になって休みたい方は、からだを横にして、休んでください。」「立って、歩きたい方は、少し歩いてみてください。」「そのまま、坐っていたい方は、そのまま坐ったままでも、大丈夫です。」

「いま、ここに、自分は、居ますか?(how is your presence without judgment ?)」
「いま、目を閉じているひとは、自分の目を開いてみると、何が、いま観えてきますか?」
「いま、自分に観えているものが、あれば、それをしっかりと観ることができますか?いかがでしょうか?」「考えないで、ただ観ることができますか?いかがでしょうか?」
「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」
「もしも、よろしければ、これまでの体験を、みなさんでシェアーしませんか?」

以上簡単ですが、今日の夜中のステファンさんのSAWのご報告でした。

7月10日 伊藤稔



SAW 2022年7月5日


今日7月5日午前1時からセンサリー・アウェアネスの世話人ジュディス(Judyth Weaver)先生でした。ジュディスは、先週の世話人レイさんよりも2年早く、1968年からシャーロット先生のもとで、センサリー・アウェアネスを学び始めました。事前のジュディス先生のご紹介メールでは、次のように書かれていました。

Judyth began studying Sensory Awareness in 1968 and feels she continues to this day. A multifaceted teacher and counselor, with Ph.D. in Reichian Psychology. Creator and founding chair of Santa Barbara Graduate Institute’s Program in Somatic Psychology, teaching at the California Institute of Integral Studies for 25 years; and founding faculty at Naropa Institute, creating its T’ai Chi Ch’uan program. She is certified in Reichian Therapy, Somatic Experiencing, massage, Biodynamic Craniosacral Therapy, Pre and Perinatal Therapy, She is senior teacher of T’ai Chi Ch’uan, Rosen Method and Sensory Awareness.

(意訳:ジュディス先生は、ライヒ心理学[Reichian Psychology; ライヒ(Wilhelm Reich、1897年3月24日生 1957年11月3日没)は、現ウクライナ生まれのオーストリア人でフロイトの精神分析を継いだ第二世代の人間で、ライヒ心理学の人間の性格に関する研究は、アンナ・フロイトの『自我と防衛のメカニズム』(1936年)の発展に寄与しました。ライヒ心理学では「人は性的本能と外界に対して自己を防衛するために「性格の鎧」を着ると考え、性格分析を提唱しました。また、身体的要因に注目し、心的外傷体験(トラウマ)がからだ身体を鎧のように強ばらせ、浅い呼吸に陥らせることに気付き、「筋肉の鎧」(身体の動きにおける性格の表れ方)という概念を作り、身心相関の考えに基づいたより現実的で実践的な身体心理療法の諸技術の誕生に影響を与えた」と説明がありました]で博士号を取得して、マルチな能力を持った教師でありカウンセラーでもあります。カリフォルニア州の西海岸サンタバーバラの大学院に身体心理学プログラムを創設しました。また、サンフランシスコ市内にあるCIIS(カリフォルニア身心統合大学院)で25年間教鞭をとってきました。初代センサリー・アウェアネス財団の理事長マイケル・アトキンソンさんが卒業したコロラド州のナロパ大学に身体学科を創設して、太極拳プログラムのコースを設けました。 彼女は、認定を受けたライヒ心理学療法家、身体療法師、マッサージ師、生体力学的頭蓋仙骨療法、出生前および周産期身体療法師等の資格も持っています。さらに太極拳、ローゼン療法師(ドイツ出身の理学療法士マリオン・ローゼンが、カリフォルニアのバークレーで約半世紀の間、身体を通して心を癒す、新しい形の身心統合療法のことです。心と身体は分けられないものとして、その人間の全体を受容し、長年にわたるストレスやトラウマなどによって凝り固まった筋肉をやわらげようとする身体療法の1つ)で、センサリー・アウェアネス財団の公認の世話人です。)

 しかし、昨日の土曜日は、朝5時に家を出て、千葉県の銚子市にある大学に集中講義に出かけて、帰宅が夜8時を過ぎて、入浴と食事後に就寝して、夜中1時に目が覚めませんでした。朝までぐっつすりと寝て、今日の朝の明け方、午前3時45分ころの薄明りの、蒸し暑さの中で、目が覚めました。「朝の目覚め」も、自然からの贈り物であることを実感しました。

7月3日はアメリカ独立記念日の前日です、明日4日米国では、「花火のfirework」を思い出しました。熱中症にも、コロナにも負けない、丈夫な、からだに私は、居たいです。


7月5日 伊藤稔



SAW 2022年6月26日


今日26日午前1時からセンサリー・アウェアネスの世話人レイ(Ray Fowler)さんは、「シンプル・コンタクト」の実習を行いましたので簡単に、以下にご報告致します。世話人のレイさんは、事前の自己紹介メールで次のように語っていました。

「I have been a student of Sensory Awareness since 1970 and studied with Charlotte Selver for thirty-two years. The practice of Sensory Awareness continues to show me a potential in living which I did not know existed until I became deeply moved by its simple power. It has had a profound influence on how I meet the world today. I continue to offer retreats each summer on Monhegan Island (ME). Previously, I gave sessions at The Gestalt Institute of New York, Ohio University and Johns Hopkins University. Furthermore, I have had an inspiring life as an orchestral conductor and a forever-surprised father.

(意訳:私は、1970年からシャーロット先生のSensoryAwarenessの勉強を始めました。その後シャーロットが亡くなるまで32年間勉強を続けてきました。シャーロットが私に与えてくれたセンサリー・アウェアネスの実習は、私がシャーロット先生に出会う前まで、自分自身が少しも気にもしていなかったこと、私の生(いのち)がただ存在することに感動するまで、唯、自分があることの世界(禅的な生活)の可能性を、しっかりと深く気づくまで、この瞬間、瞬間に訪れていること。すでに生まれもって身についている(いのちの)力が、自分の出会っている世界(自分自身と身の回りの自然や文化も含めて)の気づき、そのものに繋がっています。私は、毎年夏にモヒーガン島(ME;これまで過去2年間新型コロナ(COVID19)で中断していた)のSAのワークショップを今年は8月7日から13日まで再開します。これまで私は、ニューヨークのゲシュタルト研究所、オハイオ大学、ジョンズホプキンス大学でセンサリー・アウェアネスの実習を行った来ました。さらに私は、もう1つの顔として、オーケストラの指揮者、また、1人の父親として、永遠に分かつことのない子どもの親として、これまでも、これからも感動的な人生を送って行きます。)」

 今日の世話人レイさんから、次のような言葉かけがありました。「いま(this moment)、目を閉じることができますか?目を閉じてみませんか?もしも、目を閉じている人は、目を開いてみることができますか?目を開いてみませんか?」「いま、自分の呼吸(all breath)は、いかがでしょうか?」「自分の呼吸のプロ―セス(breath journey)は?いかがでしょうか?自分の息が、からだから出てきますか?(comes away)」「自分の呼吸は、自分のからだに何か影響を与えていますか?(Are you influencable to your breath ? each moment ?)」

「しずかな時間が自分に訪れてきましたら、自分の片方の手の指先で、自分の片方の足の指先を、しずかに覆って、触れてみることができますか?触れてみませんか?」「自分の手の指先の感じは、いかがでしょうか?」「いま、触れられている自分の足の指先の感じは、いかがでしょうか?」

「それでは、今度は、手の指先を右手から左手に替えてみると、いかがでしょうか?」「同じ足の指さきの感じは、いかがでしょうか?」

「次に、足の指先を右足から、左足に替えてみると触れている手の指先の感じは、いかがでしょうか?」

「いま触れている片方の手の指先で、自分の足の指先を、1本、1本しずかに触れてみることができますか?」「自分の足の指先の感じは、いかがでしょうか?」

「いま、触れられていない、もう片方の足の指先の感じは、いかがでしょうか?」

「両手の指先で、両足の指先を触れてみると、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」

「それでは、今度は、自分の片方の手のひらで、自分の片方のひざ(膝の前側)に触れてみることができますか?触れてみませんか?」「自分のひざの感じは、いかがでしょうか?」

「次に、もう片方の手のひらで、いま触れている膝の裏側から触れてみることができますか?触れてみませんか?」「椅子に座ったままでも、立った姿勢でも、両手で、自分のひざを前側と後側から、静かにそっと自分の手のひらで触れてみると、からだの感じは、いかがでしょうか?」「坐ったままの姿勢でも立った姿勢でも大丈夫です。自分のひざの感じは、いかがでしょうか?」「自分のからだの感じに変化は、ありますか?」

「次に、自分の片方の手のひらで、自分の下腹部をしずかに触れてみることができますか?触れてみませんか?」「それから、もう片方の手のひらで、下腹部の後ろ側の背中の下方からおしりのあたりに触れてみることができますか?触れてみませんか?」「いま、両手のひらの間で、自分のからだの上体の下腹部とおしりを下から触れてみると、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」

「それでは、今度は、自分の片方の手のひらを自分のあたまの上の方から、しずかにそっと、近づけてみることができますか?頭の上に1センチほどの隙間を作るくらい、自分の手のひら近づけてみると自分のあたまの感じは、いかがでしょうか?」「自分の手のひらが、あたまに近づけてみると、自分の手のひらの温かさを、自分のあたまで感じますか?」「自分の手のひらの温かさを、自分のあたまの上で、感じることができましら、しずかにそっと、自分の片方の手のひらで、自分のあたまに触れてみませんか?」「自分のあたまに、自分の手のひらで、触れてみると、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」

「触れている自分の手のひらの感じは、いかがでしょうか?」「触れられている自分のあたまの感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?何か変化はありますか?」

「自分のあたまを充分に、触れることができましたら、次に、自分のからだの触れてみたいところに、手のひらを移動することができますか?」「自分の胸、はら、おしり、せなか、脚から太もものあたりに触れてみると、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」

「自分の両手のひらを、自分の腰のあたりに静かに触れてみませんか?」

「自分の両手が疲れてきたら、しずかに、ゆっくりと重力に任せて、下におろしてください。」

「自分の両手が、充分に休むことができたら、最後に自分の右手の親指と人差し指をV字のように広げて、自分のあごの下から触れてみることができますか?自分の右手の親指と人差し指を広げて、自分のあごの下から、そっと静かに触れてみることができますか?触れてみませんか?」

「自分の右手のひらと指先で、自分のあごの骨を感じることができますか?」「自分のあごの骨を感じることができたら、自分の喉仏(のどぼとけ)にふれてみることができますか?触れてみませんか?」

「いま、自分でつばを飲み込んでみると、自分の喉仏の動きが分かりますか?」「自分の喉の感じは、いかがでしょうか?」「自分の頸のまわりの感じは、いかがでしょうか?」

「それでは、自分の声をしずかに発することができますか?自分の声を出してみませんか?」「自分の声が、自分のからだから出てくるとき、自分の喉のまわりの感じは、いかがでしょうか?」

「自分の頸すじのかんじは、いかがでしょうか?」「自分の頸すじから、頸の後ろ側の感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」

「いま、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」「からだの感じに変化はありますか?」

「それでは、これまでの自分の体験を、みなさんとシェアーしませんか?」

以上簡単ですが、今日の午前1時からの世話人レイさんの「シンプル・コンタクト」の実習の簡単なご報告でした。昨日から、梅雨が明けたようなうだる暑さになりました。熱中症予防で水分を取りながら、部屋のクーラーをほんの少しの間オフにして、自分のからだが、暑さに応えるていること、自分のからだの学びが、いろいろと起こってきていますか?

来月7月24日(日)の人現会総会後の研修会で、今日の実習を皆さんで体験できればと思います。

6月26日 伊藤稔



SAW 2022年6月19日


明日の勉強会に先立ち、今夜半午前1時からセンサリー・アウェアネスの実習案内の事前連絡メールで、「自然散策?(世話人は、カナダのトロント郊外在住のルースさん)」の課題が出されましたので、以下にご紹介します。明日のZOOM勉強会でも実施したいと思いますが、いかがでしょうか?

*以下メール内容です。

I invite you to spend time outdoors for a few (or many!) minutes prior to joining the zoom session. While you are outside, allow your 'nature' to guide you to a 'living or living-at-one-time-not-so-much-now' item in that environment. Try not to overthink it, and rather follow your instincts and inner wisdom. If possible, bring the item itself to the session. Otherwise, photograph it, sketch it, or in some other creative way - carry it to our session. If your wifi access allows it, I further encourage you to participate in the session while still outdoors - or as close to it as you can facilitate (i.e. an open window).

I look forward to seeing you soon!

Ruth

(参考訳:今日のズームセッションに参加する前に、(自分の居る家の)屋外(可能であれば、自然の中、公園や森の中)で数分(または数十分!静かな)時間を過ごしてみませんか?あなたが野外にいる間、あなたの中の「自然」が、あなたをその自然環境の中で「生きているか、生かされいるか、ほんの少しの間でも、あるがままに居られる時間を過ごしてみませんか?」そんな時間が自分のなかに訪れる場所があるかもしれません。でも、自分が静かに居られる場所を探してみるとか一生懸命にそれを考え過ぎないようにしてください。むしろ逆に、あなた自身の内なる自然(身心一如)の知恵に任せてみませんか?もしも、可能であれば、自分が身を置いている自然の中で、出会うことができた、物(自然のほうから声を掛けられた)アイテムが見つかれば、それを今日のセンサリー・アウェアネスの実習にご持参ください。それができない場合は、例えば、その写真を撮ったり、スケッチしたり、その他のクリエイティブな方法で、今日のセンサリー・アウェアネスの実習の時にご持参ください。もしも、ZOOMでWi-Fiアクセスが可能な場合は、屋外に居たままでセンサリー・アウェアネスの実習にご参加ください。または、できるだけ自然の中で、自分の身を置いて、今日のセッションにご参加することをお勧めします。今日の実習中に部屋にいる人は、自分の部屋の窓を少し開けておくことができますか?

もうすぐあなたに会えるのが楽しみです!ルースより)

以上です。

(参考:伊東博著『身心一如のニュー・カウンセリング』第12章(233-240頁)より、「前にも述べたように私たちは、自分自身とのかかわり、さらに他者とのかかわり、そうした人間とのかかわり(「ともにある世界」)を超えて、さらに広く「まわりの世界」とかかわっていく。とくに私たちは、自然環境とのかかわりをおろそかにしたばかりに、いや、自然は征服すべきものとしかみなかったばかりに、自然環境、地球環境をその回復も危ぶまれるほどに破壊してしまった。それが人類の問題であることが明らかになっている今日、カウンセリングや心理療法といえども、人間とのかかわりを越えて、自然とのかかわりをも扱わなければならなくなっている。自然とのかかわりというのは、人間と自然の間に「与える・受け取る」という動きがあるということである。・・・すなわち、自然環境、文化環境(芸術、文学など)との間でも、私たちは、「与えること・受け取ること」という具体的なかかわりをしているのである。ニュー・カウンセリングは人間の生活の全(禅)局面にかかわるものであることをあらためて強調しておきたい。

*チャールズ・ブルックス著『センサリー・アウェアネス』(伊東博訳)の第23章「野外での実習2」(203頁)より引用:「ここでは、私たちがどこに立ち、坐り、寝転んでも、それはある意味では暴力行為にならざるをえません。そこは、木の床でもなければ、裸の岩でもなかれば、地面でもないのです。それはまた、刈り込んだ芝生でもありませんし、弾力のある草でもありませんし、あるいはまた、動物に踏みつけられてもすぐに生えてくる牧草地の牧草でもないのです。ここはすでに、光と空気の中で上に伸びようとしている生き物に占領されているのです。私たちは、すでに私たちがいなくても、完璧である風景の上に、そっと身をおくよりほかに道はないのです。・・・ある程度「ぼんやり」(absent-minded)した気持になってしまいます。こうしたさまよえる人びとの足の下では、草は重さに押しつぶされてしまいます。しかしまたある人びとは、その敏感な状態を保っておりますので、今もなお十分にそこに存在しながら、日だまりの草むらや牧場の静けさのなかに足を踏み入れてます。こうした人びとには、新しい軽やかさがその血や手足のなかに動いており、その体重の重さにもかかわらず、やさしい足どりで入っていくのです。植物はもちろん地面に踏みつけられますが、このような軽やかな足どりのときは、すぐにその力を回復します。これらの植物は、損害を受けましたが、侮辱されたのではありません。みんなが集まって、それぞれが自分の立つ場所を見つけるとき、今現在というものが、私たちすべてのものにはっきりと見えてきます。私たちを取り巻いている無数の生き物の生命のプロ―セスといったもの、それらが地球、空気、光などと相互に作用し合っているという感じが、私たちの血の流れのなかに忍びこんできます。それらのなかに起こっている化学作用が私たちのそれと混じり合ってくるのです。あちこちに散らばりながら、ある人は自分の呼吸が微妙に変化したのに気づいており、またある人には、皮膚の毛穴と空気との間のやりとりがかすかに感じられています。そこでこんどは、みんな目を閉じて呼吸を感じてください、と言います。大自然との一体感がますます大きくなってきて、内面でふしぎな調整が起こっているのがわかります。おそらく、骨盤とか、頸とか、肩帯などのあたりで、固くなっていたものがかすかに緩んだ人もあるでしょう。立ち方が変わった人もあるでしょう。氷のように固まった過去の不安が少し融け始めて、エネルギーの流れが開放されて目に潤いが漂い、あるいは足のウラに感受性が流れていく、という人もあるでしょう。私たちは、生命とか生きとし生けるものに対する愛の衝動を感ずるのです。」

以上が伊東博先生のニュー・カウンセリングとシャーロット先生の「自然との関わり」の実習として紹介しています。

6月18日 もうすぐ夏至(6月21日) 伊藤稔



SAW 2022年6月5日


今日の午前1時(現地メイン州時間4日土曜日正午)からのSAWの世話人はマイケル・アトキンソン(Michael Atkinson)さんでした。マイケルさんは、シャーロットが亡き後、初代センサリー・アウェアネス財団代表理事を務めました(現在代表理事はステファンさん)。マイケルさんは、1974年からシャーロットの元でセンサリー・アウェアネスを学んできました。その時のシャーロットのSAWには様々な名前がつけられました。例えば、Study of Breathing(呼吸の研究)、Being All There(いま、深くここにあること)、Walking, Standing, Sitting, Lying: The Four Dignities of Human Being(行住坐臥―人間の四威儀)です。これまでに2020年8月16日、11月7日、12月26日、2021年3月13日、5月23日、7月10日、10月9日、11月27日と9回目の世話人をつとめる中で行住坐臥の実習を行ってきました。今日のホスト、カナダのトロント郊外に住むルースさんが、マイケルさんを簡単に紹介すると、マイケルさんは、行住坐臥のお話から始まりました。
 「私がシャーロットから学んだことは、正しい立ち方(correct standing)、正しい座り方、正しい呼吸のしかた、などといったものを求めるためにセンサリー・アウェアネスの実習をしているのではありません。」
「センサリー・アウェアネスは、いま、ここで自分の体験を通して、ひとり一人の中に起こっている、在りのままの現象(体験)の性質を理解(あたまだけでなく、からだ全体、まわりのものとの関係も含めて)しようとしているだけなのです。」「例えば、私が、‘ちゃんと、立っていますか’、とか、‘ちゃんと呼吸していますか’、‘あなたの呼吸のリズムはいかがですか’、というとき実際に自分の体験として、そこに起こっているのはどういうことなのでしょうか?」「言葉で答えるとか、どんな形ででも定義づけをするような答え方を求める、というようなことはしません、形にあらわせるような証明だとか、目標とかいったものをもっていない勉強(体験)なのです。」「これから行うSAの実習では、あなたが、生きるという過程(living processes)、それ自体に基本的な関心があるだけなのです。」「これから起こる自分の体験の中で、明晰さも深さも、自分のあたまで考えることは、まったく、一切必要がありません。むしろ、いまここでの自分の体験を邪魔するだけです。」
「それでは、いま坐っている方は、立ってみることができますか?立ってみませんか(come to standing?)」
「できるだけ、ゆっくりと静かに立つことができたら、自分の腕の重さを感じていますか?」「自分の腕の重さは、いかがでしょうか?」「自分の頭の重さを感じていますか?」「自分の頸のまわりの感じは、いかがでしょうか?」「自分の肩から背中の感じは、いかがでしょうか」「いま、自分の胸、お腹の感じは、いかがでしょうか」「下腹からお尻の感じは、いかがでしょうか?」「足のつけね、自分の太ももは、いかがでしょうか?」「自分の膝の感じは、いかがでしょうか?」「ふくらはぎ、むこう脛、足の踝から踵は、いかがでしょうか?」「足の甲から足裏の感じは、いかがでしょうか?」「つま先の感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」
「いま、自分は、ちゃんと立っていますか?」
「ちゃんと立つことができたら、今度は、ゆっくりと自分のからだの上体をしずかに、できるだけゆっくりと地球の重力にまかせて、下へ降ろしてみることができますか?自分の上体をしずかに、できるだけゆっつくりと重力にまかせて、下へ降りるところまで、降ろしてみませんか?」「自分の上体が下へ、降りるところまで、下りましたら、自分のからだの上体を地球の重力にまかせて、ぶらん、ぶらん、動かすことができますか?動かしてみませんか?」
「自分のからだの上体が、重力にまかせることができましたら、また、できるだけゆっくりと、静かに、自分のからだの上体を上に持ち上げてみることができますか、持ち上げてみませんか?」
「自分のからだの上体をゆっくりと、静かに(stilly)上に持ち上げて、上がるところまで、上がりましたら、いま、自分のかただの感じは、いかがでしょうか?」
「それでは、また、自分のからだの上体を静かにゆっくりと地球の重力にまかせて、下へ降りるところまで、降ろしてみませんか?」「どうぞ、自分のからだのペースに合わせて、ゆっくりと地球の重力にまかせて、下へ、降りるところまで、降りましあたら、そこで、しばらく自分のからだが休むことができますか?自分の上体が休むことができましたら、また、ゆっくりと自分の上体を上に、上がるところまで上げてみませんか?」「どうぞ、自分のからだのペースに合わせて、何回か、自分の上体が上下に動くことができましたら、今度は、ゆっくりと床に自分のからだが横になって休むことができますか?(come to lying down ?)」
「いま、床にからだが、横になってや休むことができましたら、背中と床の感じはいかがでしょうか?」
「時間を充分にとって、からだが床に横になり、からだが休む感じは、いかがでしょうか?(take a moment, permission of space) 」
「自分のからだは、仰向けに横になって休んでますか?」「あるいは、自分のからだの右側を横にして、横になって休んでいますか?」「自分のからだが、なるべく楽に休めるように、床にからだが横になる姿勢は、いかがでしょうか?」「いま、自分のからだが、床の上で充分に、休むことができましたら、また、立つ準備をしてみませんか?」「できるだけ、ゆっくりと自分のペースで、静かに、立ってみませんか?」「その場所に、静かに立つこと(full standing)が出来ましたら、自分の身の回りを観ると、何が観えてきますか?」「ちゃんと立つことができましたら(discover standing)、今度は、今いる場所で、歩く準備ができますか?歩いてみることができますか?」「いま、自分が立っている場所で、何歩か、歩いてみることができますか?しずかに、できるだけ、ゆっくりと、歩いてみませんか?(come to walking, take few steps if you have a space?)」
「どうぞ、自分の今いる空間で、しずかに、できるだけゆっくりと歩いてみると、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」
「できるだけ、ゆっくりと歩くことができましたら、3人のブレイクアウト・ルームに分かれて、これまでの体験をシェアーしませんか?いかがでしょうか?」
(注;私は、ジュリ(Julie)さんとシルバンナ(Silvanna)さんの3人になり、行住坐臥の体験をシェアーしました。)
以上、簡単ですが、今日の午前1時からのマイケル・アトキンソンさんのSAWのご報告でした。

6月5日 梅雨入り間近の空模様 伊藤稔



SAW 2022年5月28日


今日の午前1時(現地ニューヨーク時間28日土曜日正午)からのSAWの世話人はエヤル・ヨナ(Eyal Yona)さんでした。エヤルさんは、イスラエル出身で、ヘブライ大学で、中国医学(Chinese Medicine)を学び、2016年に米国に移住、「呼吸」をベースにしたマインドフルネス瞑想等を用いてニューヨークでクリニック(個人)やワークショップを行っています。その基本になっているのがシャーロットのセンサリー・アウェアネスの哲学とのことです。エヤルさんのHP (https://eyalyona.com/)の冒頭では、「(自分自身や身の周りの環境が)すべてが変化し始めるのは、(変化を)恐れるのではなく、(変化に対して)好奇心を持って、自分自身(の存在)に近づくときだけです」と書かれています。


 午前1時になると、今日のホストのステファン先生が、簡単にエヤルさんを紹介して今日のSAWが始まりました。すると、エヤルさんは、シャーロットの1989年SAWの記録からシャーロットの呼吸のお話しから始まりました。


 In breathing which is automatic, which is spontaneous, we have to be permissive to the fact that it is changing, that it is changeable, that it comes by itself. The very character of it, or the very entirely differently, when you climb stairs, when you varry a package, when you sleep, when you are lying and resting – in all this, breathing is diferent. There is no such thing as “proper breathing”. The important thing is to have patience, to have inner reverence, and not disturb it with your will.


(ひとの)呼吸は、ほとんど無意識で、自律的で、自発的なものです。(しかし、自分の)呼吸が、いつでも変化しているということ、変化しやすいということ、呼吸それ自体が、自ずからやってくるということ、に素直でなければなりません。例えば、あなたが走っているときの呼吸は、普段の呼吸とは全く違います。(あなたが) 階段を上るとき、荷物を運ぶとき、寝るとき、横になって休んでいるときなど、(自分の)呼吸そのものが、まったく異なるものです。日常生活の中で、一つひとつ毎回、呼吸は変化します。ですから、一般的に「適切な呼吸」というものはありません。 (センサリー・アウェアネスの呼吸で)重要なことは、しっかりと忍耐力を持ち、(自分の内なる自然を大事にしながら、)畏敬の念を持って、(自分自身の一期一会の呼吸を)自分の(頭で考えた)意志だけで、邪魔をしないようにすることです。

*「人間を精神と身体に分割してきた人間の歴史は長期に及ぶものですが、この心身の分割については、・・・肉体の欲望(lust of the flesh)と精神の抱負(aspirations of the spirit)という古典的な対立・・・しかし、この「抱負(aspiration)」という言葉も、「精神(spirit)」という言葉も、その語源は、「呼吸(breathing)」を意味する同じラテン語からきているものなのです。」『センサリー・アウェアネス』(伊東博訳、14頁から引用)

 エヤルさんは、「いま、あなたの呼吸は、いかがでしょうか?(Every breath is different in a new moment, present moment.)」「いま、自分の呼吸は、苦しくありません?(so many different approch and attitude in your breath, Is there freedom in your breath ?) 」「いま、自分の呼吸は楽ですか?(Can you find more freedom in your breath in this moment?)」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」

「もしもいま、目を開いている人は、目を閉じることができますか?あるいは、目を閉じている人は、目を開いてみると、自分の呼吸に何か変化はありますか?いかがでしょうか?」

「いま、自分の呼吸に気づくことができますか?(Can you work with your breath ?)」「自分の呼吸は、自分の身のまわりのものと関係がありますか?(What is the nature of your relationship with your breath ?)」「ただ、ただ、自分の呼吸と一緒に居ますか?(stillness together)」

「自分の呼吸と一緒ですか?」「自分の両手のひらを自分の両目に、ゆっくりとしずかに覆い被せてみることができますか?」「自分の両目を両手のひらで、覆い被せるとどんな感じでしょうか?」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」「両目を両手のひらで覆う前と今では、自分の呼吸に変化はありますか?」「自分の呼吸は、ゆっくりでしょうか?」「自分の呼吸に意識は、ありますか?」「いま、静かになることができますか?」「どうぞ、ゆっくりとしずかに自分の呼吸を感じてみませんか?」

「充分に静かになることができましたら、自分の身の回りに置いてあるものに、そっと静かに手で触れてみることができますか?触れてみませんか?」

「いま、身の回りに置いてあるものに、手で触れることが出来ましたら、その物を手に持ってみる、どんな感じでしょうか?」「いま、自分の手のひらで、ものを持った時に、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」「いま、ものを持っている時に、自分の呼吸に変化はありますか?」

「自分の両手のひらで、自分の持ったものをしっかりと自分の目を開いて観ませんか?」

「いま、両手に持っているものを、目をゆっくりと開いて観るとどんな感じでしょうか?」

「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」「自分の呼吸に変化はありますか?(What is your creativity ?)」「いま、あなたに、ひとつ、ひとつ呼吸が訪れていますか?」

「いま、あなたの呼吸の感じは、いかがでしょうか?」

「それでは、これまでの体験(実験:experiment)をシェアーしませんか?」


以上、簡単ですが、今日の午前1時からのエヤルさんの「呼吸の実習」のご報告です。


5月29日伊藤稔



SAW 2022年5月22日


今日の午前1時(メキシコ・シティー時間21日土曜日午前11時)からのSAWの世話人はマリエーラ(Mariela Valdez)さんでした。いつものように12時45分にZOOMに入るとカナダのトロントのルースさんが今日のZOOMホストでした。彼女からトロントは、まだ朝晩は寒く、ルースさんの住んでいる郊外は自然の森と湖に覆われている静かなところと話してくれました。私が30年以上前にトロント大学を訪問した時のことを伝えると、その当時と今では、トロント市内はニュー・ヨークのように高層ビルが立ち並んでいて、ルースさんにはとても住む気になれないとのことでした。すると直ぐにメキシコ・シティーから今日の世話人のマリエーラさんがZOOMに入ってきました。マリエーラさんとルースさんは、同世代(50代?)でシャーロットの晩年に一緒にセンサリー・アウェアネスの実習を行ってきた間柄とのことでした。マリエーラさんの母国語は、スペイン語ですが、英語も堪能で、聴きやすい声です。3人で話しているうちにすぐに午前1時になり、世界中(ドイツ、ベルギー、イングランド、ニューヨーク、カリフォルニア等)から26名が参加してきました。


 最初にZOOMホストのカナダのルースさんが、シャーロットの遺稿集『Every moment is a moment』の序章の冒頭を紹介しました。

 About five months before her death, as Charlotte Selver was lying on her couch. She said, “I could weep. I could weep with joy at letting go.” Then, with a smile and great release, she settled even further into lying on the couch. “And yet,” she said, “It is not so simple. There is a place deep in my heart that is resisting.” She spoke of needing to meet that resistance from a place that is not pushing, pulling or forcing; somehow coming to what says “yes” and what says“no”. For more than three quarters of a centry, Charlotte Selver dedicated her life and energy to helping people discover what says “yes” and what says “no” to her own living. She was 102 years old when she died in August 2003.


それから、今日の世話人のマリエーラさんの簡単な紹介をして、センサリー・アウェアネスの実習が始まりました。


 最初のマリエーラさんの言葉かけは、「ありのままで居ますか?(let it go whatever.)」「立つこと、坐ること、横になったからだが休むこと、歩くこと、いつでも呼吸が一緒でしょうか?(my experience is breath in this moment)」「ほんの少しでも、地球の重力(引力)を感じていますか?(slendering invitation of gravity)」「いま、あなたの呼吸は、いかがでしょうか?」「いま、自分の腕の感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分の肩の感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分の肩のまわりの感じは、いかがでしょうか?自分の肩の内側の感じは、いかがでしょうか?肩の外側の感じはいかがでしょうか?(Can I feel somehow with my shoulder ? outside of my shoulder ? how is inside of my shulder ?)」


「いま、自分の肩の関節のまわりの感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分のからだに重力(引力)を感じていますか?」

 「それでは、事前に準備したお手玉のような袋(または、クッション、枕、クツシタに豆や穀物を入れた袋等、なんでも身近にあるもので大丈夫)を手に持って、自分の片方の肩の上に、静かに、そっとのせてみると、どんな感じでしょうか?」「自分の片方の肩の上にお手玉のような袋をのせる前と今では、からだに何か変化はありますか?」「自分の呼吸は、いかがでしょうか?」「自分の肩にお手玉のような袋が乗っていると、自分の呼吸に影響がありますか?」

「それでは、しずかに自分の両肩をゆっくりと動かすことができますか?動かしてみませんか?」

「自分の肩をしずかにゆっくりと動かすと、自分の頸すじ、肩、背中、胸、お腹の感じは、いかがでしょうか?」「いま、地球の引力(重力:gravity)を感じていますか?(how to invitation of gravity)」

「いま、自分の肩の感じは、いかがでしょうか?感じるままで居られますか?(let it go)」

「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」

「それでは、また、ゆっくりと静かに、片方の肩の上に乗せているお手玉のような袋をつまんで、もう片方の肩に移動すると、自分の肩の感じは、いかがでしょうか?」「自分の両肩の感じは、いかがでしょうか?」「左右の肩の感じは、いかがでしょうか?」「お手玉のような袋をもう片方の肩に移動すると、自分の呼吸に変化はありますか?」「最初に袋を置いた肩の感じは、いま、いかがでしょうか?」

「いま、地球の重力を感じていますか?」

「こんどは、自分の右手のひらをゆっくりと、しずかに、自分の胸に当ててみることができますか?当ててみませんか?」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?(moment of breath)」

「自分の肩の重さは、いかがでしょうか?(the way to participate of my slendering of invitation of gravity)」「いま、自分の呼吸の間、ペース、リズム(time, pace, rhythm)は、いかがでしょうか?」

「一つ、ひとつの自分の新鮮な呼吸を感じていますか?(presence of mind)」

「目を閉じてみると、(目を閉じていた人は、目を開いてみると)自分の呼吸に何か、変化はありますか?」「それでは、自分の肩の上に置いてあるお手玉のような袋を、自分のからだの置きたいところに移動してみることができますか?」「お手玉のような袋を、自分のからだの新しい場所に移動すると、からだの感じに変化はありますか?」「自分の呼吸に、変化はありますか?」

「ゆっくりと、静かに、時間をかけて、お手玉のような袋を自分のからだの上に置いてみると、地球の重力(引力)を感じますか?(invitation of gravity)」「そのとき、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」

「充分に時間をかけて、ゆっくりとお手玉袋と自分のからだが、関わることができたら、みなさんで、これまでの体験をシェアーしませんか?」「いかがでしょうか?」


 以上、簡単ですが、今日の午前1時からのマリエーラさんのセンサリー・アウェアネスの実習の簡単なご報告でした。


5月22日 伊藤稔



SAW 2022年5月15日


今日の午前1時(米国カリフォルニア時間14日土曜日午前9時)からのSAWの世話人はマルレーン(Marlene Zweig)さんでした。マルレーンさんは、1981年からシャーロット先生が亡くなる2003年までの約20年間、センサリー・アウェアネスの実習に参加してきました。今日の参加者32人(半数以上は80歳を超える参加者で、今日のみなさんが40代のころに当時の80歳代のシャーロット先生に出合いセンサリー・アウェアネスの実習を続けている同窓会のような雰囲気で、各自が健康寿命を謳歌しているような印象を画面から受けました)は、小池治道先生と同じ世代のようでした。マルレーンさんもZOOM開始15分まえから旦那さまとネットワークの接続状況の確認やミュートやギャラリー・ビューの操作をホストのサラさんと打ち合わせをしていました。午前1時になると、最初に、サンタモニカのサラさんが、同じ世代(80歳~?)のマルレーンさんを紹介して、今日のSAWが始まりました。

 マルレーンの最初の言葉は、「人間のからだは、60パーセント以上がただの水で、できています。」(この言葉は、人間は、革袋の風船に入った水のふくろからできている。人間のからだは、いつでも変化できる、右にも、左にも、上にも、下にも、革袋の表面(tissue)を簡単につまめば、どのようにも変化できるように出来ている。注: When you see your reflection in water, do you recognize the water in you ?という言葉を思いました。2022年3月箱根ポーラ美術館で「ロニ・ホーン展」より)

 マルレーンさんは、事前に準備していた「石」と「砂の袋(日本のお手玉のようですが、平たい縦横10センチほどの正方形で、中に砂か豆やお米が入っている布袋)」を画面越しに見せました。「自分のからだも石のように固くなったり、砂袋のように自由に、柔軟に変化できる(watery and movable)ように出来ている。」「毎日の生活のなかで、自分のからだの中の緊張(こころの中の抑圧も含)が、自分のからだを石のように固くしています。」「逆に、からだ(こころ)の緊張が、少なくなると、からだの60パーセントが水で出来ているから、砂袋のように、しなやかに、柔軟になります。」

「それでは、これから実習(実験)をしてみませんか?」「いま居る、机の上に自分の片方の腕を静かに置いてみませんか?両腕を置いても大丈夫です。」「いま、じぶんの腕の重さを感じていますか?」

「自分の腕が、何もしないで、ただ、ただ、机の上で横にして休め(you may not do something, just repose)ていますか?」
「自分の腕を、机の上にゆっくりと静かに、休めることができましたら、机の上から、そっと、静かに、ゆっくりと、上の方へ2~3センチ持ち上げてみることができますか?持ち上げてみませんか?」

「自分の腕を、机の上から持ち上げるときに、自分のからだに変化はありますか?」「自分の胸、頸すじ、頭、肩、背中、お腹、おしり、脚、膝の感じは、いかがでしょうか?」「自分の足の裏と床の感じは、いかがでしょうか?」「腕が疲れてきたら、また、机の上にゆっくりと静かに降ろしてみると、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」

「今度は、自分のからだが床に横たわり(からだの右側が床に接して)、右手を伸ばして、あたまの下に枕にして、両脚を膝で折り曲げて、右側の脚の上に、左側の脚を置いて、両膝を上下に重ねて、横たわることができますか?(画面を通して、マルレーンさんが、床の敷物の上で、からだの右側を下にして、横になって休む姿を見せてくれました。)」「自分の右側の脚の上に左側の脚を折り曲げて、上下に重ねて置いてみると、自分の両膝の感じは、いかがでしょうか?」

「それでは、ゆっくりと、しずかに、右側の脚の上に乗せている左側の脚の膝を持ち上げてみることができますか?できるだけ、ゆっくりと、静かに、左側の脚の膝を持ち上げてみませんか?」

「いま、からだの感じは、いかがでしょうか?」「左側の脚の膝を持ち上げようとする時に、自分のからだの脚の感じは、いかがでしょうか?自分のあたまから頸すじの感じは、いかがでしょうか?」

「いま、自分の頭、肩から背中の感じは、いかがでしょうか?」「持ち上げている脚の膝が疲れてきたら、また、もとのところの右側の脚の上に静かに戻して、休むことができますか?(creating repose)」

「何回か、自分の呼吸に合わせて、自分の片方の膝を上に持ち上げて、降ろしてみると、からだの感じは、いかがでしょうか?」「自分の脚が疲れてきたら、また、椅子のところに戻って、坐ってみませんか?」「いま、椅子に坐っているからだの感じは、いかがでしょうか?」

 「今度は、腰を掛けて坐っている椅子を、なるべく浅く、椅子の座の縁に近いところにおしりを置いて坐ると、からだの感じは、いかがでしょうか?」

「いま、自分が、椅子に浅く、まっすぐ坐ってい感じは、いかがでしょうか?」

「坐っている椅子に接している自分のおしり(坐骨の両端)の感じは、いかがでしょうか?」

「それでは、自分のからだの重心を片方(右側または左側)に移動することができますか?」

「自分の重心を片方の側へ移動すると、もう片方の側のおしりの感じは、いかがでしょうか?」

「呼吸に合わせて、ゆっくりと、静かに、左右に自分のからだの重心を移動すると、からだの感じは、いかがでしょうか?(living and moving tissue)」

それでは、これまでの体験をみなさんでシェアーしませんか?いかがでしょうか?」

(注:シャーロット・セルバー&チャールズ・ブルックス著『センサリー・アウェアネス』(伊東博訳1986年)の第26章「下に向かって、上に向かって」(187~192頁)からの引用「とりわけ大事なことは、石が温度やかたちや重さをもっているということですが、そのいずれかの性質も私たちの状態に従ってその知覚のしかたが違ってくるということです。石の存在のいずれの局面に対しても、それに対応する感覚の様式(モード)をもっており、また効果的に感じとる場所に私たちを導いていくのに必要な関節や筋肉を私たちがもっているということです。これまで主として重さについての実習をやってきたのですが、私たちの石に対する態度が変われば、それに伴って重さの感覚もまた変わる、ということがわかりました。・・・自分が重力にまかせているのか、それとは別に自分自身の力を使っているのか、それが見分けられるほど、私たちは敏感ではないのです。石をいつも同じ方向に落としている重力のように、いつどこにでも存在しているものは、どんなものでも、私たちの研究に値するものでしょう。もっと正確には、それは地球の引力と呼ぶべきでしょう。というのは、私たちの個人的な体験にかかわってくるのは、すべてその引力なのですから。きわめて微妙に、この引力はいつでも私たちの上に働きを及ぼしているのです。・・・全身に浸透している内面的な反応性、つまり内受容感覚(proprioceptive)あるいは運動感覚(kinesthetic senses)-それなしにはまっすぐに立つことも、まわりのものとかかわることもできないのですが-によってのみ知覚されるものなのです。十分な時間をとってもっと静寂なもっと目覚めた状態になったときに、これらの感覚は、わたしたちの内面のいたるところに生まれ始めるのです。たしかにすべての子ども、すべての動物は、地球の引力に本能的に反応しています。たとえば、植物は、地球の引力と光源(太陽)とのバランスに反応しています。この引力の方向には疑いの余地がありません。」以上簡単ですが、今日の夜中午前1時からのセンサリー・アウェアネスの実習の報告です。 


5月15日 伊藤稔



SAW 2022年5月8日


今日の5月8日午前1時(サンフランシスコ時間5月7日土曜日午前9時)からのSAWの世話人は、在住のリチャード(Richard LoweのHPはHOME | Mysite 1 (fullersense.com)さんでした。リチャードさんは、これまで、2020年10月10日、2021年1月15日、4月11日、4月24日、6月19日、9月11日、12月11日に世話人を行いました。)

What does it take to surprise us? Suddenly, perhaps subtilely, things are not as they seemed. Standing up turns out to be standing down. The shape of my forehead surprises my hand. With a little luck and encouragement, we may let this surprise move through us.
And when does surprise become discovery? This fleeting moment that runs against our expectations can be taken as a novelty – and then disappear with a shrug, as we return to life as we knew it.

OR

We can realize the surprise has shown us something about ourselves and our world, and we stay with it, giving it time to unfold. Just now, the floor, the earth, supports us, but in a way never before felt. Is there any limit to the experience of being sustained by something so much larger?

We start to take a breath, and the breath takes us instead.

Can we live from this freshness? Can we let this open us up, in ways small and large?

Sensory Awareness – The gift of our senses to our whole being.

(私たちが、自分のからだのことに、(はっと)気づくことに何が必要でしょうか? 今この瞬間、この一瞬に、おそらく微妙に、物事(真実)は見た目どおりとは限らないことに気づくかもしれません。(自分のからだが、)上に立っていること、と同時に、自分のからだが、下に地球の重力で引っ張られていることが、同時に起こっていることに気づくかもしれません。自分のあたまの額(ひたい)の形が、自分の手のひらで触れることで、気づき、感じることができるかもしれません。(センサリー・アウェアネスの実習を通して)少しの幸運と励ましの中で、私たちは(この無為自然のからだの気づき)に驚きと感謝の気持ちが起こるかもしれません。
そして、(このからだの気づき)驚きはいつでも自分の身体感覚を通して訪れます。日常生活の中で私たちのからだの気づき(驚き)の瞬間は、これまでの日常生活習慣には、無かった(自分自身の)発見につながるかもしれません。そして、私たちのからだが、これまでの生活習慣的な動きから、(ほんのすこしでも)解放されるかもしれません。

ORまたは、

私たちは、(センサリー・アウェアネスの実習を通して、)自分のからだの気づきが、自分自身と自分のまわりの世界とのつながり(関係)を頭でなくて、からだ(身体感覚)を通して、(からだの気づきとして、)無為自然に訪れること、そのための充分な時間が、自分自身の中に訪れることを体験するかもしれません。 今この時に(自分のからだの下にある)床と地球が私たちを支えていることに気づかないかもしれません。または、これまでにからだを意識して感じたことが無かったかもしれません。または、(それは)これまでに体験したことのない、はるかに大きなものによって支えられている体験かもしれません。

いつでも、私たちは呼吸をしています、そして、無意識に、私たちは(無為自然の)呼吸を通して生かされています。私たちはこの毎回新鮮な(無為自然の)呼吸を通してちゃんと生きることができていますか? この無為自然の自分自身の呼吸が、(日常生活習慣の中で)大小さまざまな方法で、常に自由に開放されているでしょうか?

センサリー・アウェアネスは、私たちの(いのちの)存在全体そのものに、私たち自らの身体感覚への贈り物なのです。)

以上のことばが、今日の世話人のリチャードさんの紹介文にありました。

 今日の午前1時を過ぎると30名ほどの参加者が世界中からZOOMにあつまりました。

リチャードさんのセンサリー・アウェアネスの実習は、「立つこと」がテーマでした。途中リチャードさんのインターネット接続状況が良好でなく、リチャードさんの音声が途切れる場面がありました。そこで、伊東博先生の『身心一如のニュー・カウンセリング』の第4章「立つこと(76~94頁)」の内容を以下に要約しました。

「立つこと」というのは、もちろん二本の足で地面にたつことである。立つということは、人間が空間的存在であることを主張する第一歩である。坐っているときは、時間的存在ではあるけれども、空間的存在(動く)であることを充分にはあらわしていない。しかし空間を移動しようとするときには、まず立ち上がって、それから「歩く」(空間を移動する)のである。多田道太郎氏は、「ねる」は生命的根源であり、「立つ」「歩く」は社会的姿勢(社会に向かう)であり、「坐る」は、ねるという生命の根源に向かうか、立って歩くという社会的姿勢に向かうかを「待つ姿勢」であるという。(多田道太郎著『しくざの日本文化』(角川文庫、1978年116頁より引用)

しかし、「立つ」ということは、社会に向かう、あるいは他の人間に向かうという以上に、もっと人間の自分自身の存在の基盤、つまり人間存在の基盤にかかわるものであると思う。

 『論語』に、「吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ」(巻第一、為政第ニ)とあるが、この「三十にして立つ」というのは、もちろん独立した、一人前の「立場」をもつようになったということであろうが、「立つ」ということは、「立場」をもつということなのである。自分の拠って立つ基盤ができた、自分の生き方を確立した、ということである。ここで、ニュー・カウンセリングで、「立つ」という実習があるのは、もちろん二本足で立つということであるのだが、それは、ただ身体的に二本の足で立ついうばかりでなく、自分の立場をもつということの象徴でもあると思うからである。だから、ニュー・カウンセリングの実習「立つこと」は、単に身体的な立ち方を教えるものではない。「立つこと」の実習をやってみると、ほんとうにこの人は「立っている」のだろうか、と思うことが多いのである。ここでも「立つこと」は、やはり身心一如であると思うばかりである。

 「センサリー・アウェアネス」では、「立つこと」は、単に“standing”ではない。“to stand up”ではないのである。“come to standing”なのである。シャーロット・セルヴァーは、“Would you now come to standing”と言っている。強いていえば、「立つという状態になって下さいませんか」ということであるが、日本語では「立ってくださいませんか」という「インストラクション」(指示)になってしまう。

 “stand up”ではなく、“come to standing”と言っていることに注目したい。・・・つまり、立つという動作を指しているのではなく、立っているという状態になってください、ということである。そこに「立っている状態」ということに特別な意味があることが示唆されている。その「立っている状態」とはどのようなものなのか、それがこの実習のテーマであり、本章(立ちこと)のテーマなのである。

ただ、「立ってください」と言うよりも、「ゆっくりと立ち上がって下さい」と言ったほうが、特別な意味があることへのヒントになるかもしれない。

   以上が伊東博先生のニュー・カウンセリングとセンサリー・アウェアネスの関係を示している文章でした。これを例示することで、今日のリチャードさんのセンサリー・アウェアネスの「立つこと」の実習の報告に致します。   
  

5月8日 伊藤稔



SAW 2022年5月1日


今日の5月1日午前1時(ニューヨーク時間4月30日土曜日正午の12時)からのSAWの世話人は、ニューヨーク在住のシェリー(Shelley Hairner)さんでした。彼女は、2021年6月12日、7月31日、11月6日に続いて、4回目の世話人です。事前に、普段の生活で使用している自分の櫛やヘアー・ブラシを準備してください、とのアナウンスがありました。

世話人シェリーさんの最初のお話は、「“頭だけで考えること(thinking)”と“全身で感じていること(feeling)”、“何かをしようとすること(doing)”と“ただ何もしないでそこに居ること(being)”、“聞くこと(listening)”と“聴くこと(hearing)”の間(interaction)、私たちは、ほとんど区別なく生活しています。普段の生活では、ほとんど意識することなく無意識に呼吸もしています(take a breath out and in under the way of feeling)。」「なんと不可思議なことでしょうか?(delicious curiosity as you wish)」
「それでは、静かな気持ちが訪れましたら、自分の今いることろで、両手のひらを開いて、指先を立てて、じぶんのからだの前に、10センチほど離して置いてみるとどんな感じでしょうか?」「まだ、自分の手のひらと手のひらを触れないで大丈夫です。」「自分の両手のひらの感じは、いま、どんな感じがしていますか?」「目を開いている人は、目を閉じてみると、両手のひらの感じに変化は、ありますか?」「それでは、自分の片方の手のひらの指先で、そっと、しずかに、ゆっくりと、もう片方の手のひらに触れてみることができますか?触れてみませんか?」「触れる片方の手のひらの1本、1本の指先で、そっと、しずかに、もう片方の手のひらに触れてみると、どんな感じでしょうか?(quality of condition)」「片方の手の指先で、もう片方の手のひらに触れることができましたら、手を替えて、もう片方の手の指先で、先ほど触れていた手のひらに触れると、どんな感じでしょうか?」
「両手のひらをそれぞれ触れることができましたら、両手をもとのところに降ろして、休んでください。自分の両手が、ゆっくりと休むことが出来ましたら、今度は、自分の両手の指先で、自分の頭の両側にしずかに、ゆっくりと触れる準備をしてませんか?」「両手のひらで自分のあたまを触れる準備ができましたら、しずかに、両手のひらの指先で、そっと自分のあたまの両側に触れてみると、どんな感じでしょうか?」「自分のあたまの大きさは、どんな感じでしょうか?」「あたまの空間や形は、いかがでしょうか?」「それでは、いま触れている両手のひらの指先で、いま触れている自分のあたまを、タッピングすることができますか?」「静かに、ゆっくりと、自分のあたまを自分の両手の指先で。タッピングしてみませんか?」「自分の両手の指先で触れている、あたまの皮膚の感じは、いま、いかがでしょうか?」「自分のあたまの頭蓋骨を感じますか?」「自分の頭蓋骨をピアノの鍵盤をたたくようにタッピングすると、どんな感じでしょうか?」「自分のあたまを両手の指先でタッピングしながら、自分のあたまのサイズ、幅、大きさ、温かさの感じはいかがでしょうか?」「いま、じぶんのあたまの様子を感じでいますか?(explore your head)」
「次に、自分の両手の指先で、自分のあたまから頸すじのあたりに、触れてみるとどんな感じでしょうか?」「自分のあたまと頸の繋がりがわかりますか?」
「それでは、両手のひらの指先で、自分の両耳のあたりに触れてみませんか?自分の耳の形は、いかがでしょうか?」「両手の指先で、自分の耳たぶ、耳の両側に触れてみるとどんな感じでしょうか?」「自分の手のひらの1本の指先で、耳の穴に差し込んでみると、どんな感じでしょうか?」「自分の指先で、自分の耳の状態を感じてみることができますか?」「いま、自分の耳の感じは、いかがでしょうか?」
「それでは、今度は、両手の指先で、自分の目のまわりの骨に触れてみませんか?」「自分の目のまわりの骨の感じは、いかがでしょうか?」「目が窪んでいる周りの骨の感じは、いかがでしょうか?」
「次に、自分の両手の指先で、自分の鼻の骨に触れてみることができますか?触れてみませんか?」
「自分の指先で、自分の鼻の骨の感じでは、いかがでしょうか?」「自分の鼻の先の軟骨から目元の鼻が始まる骨のところの感じは、いかがでしょうか?」「自分の鼻の両側から、自分の両手のひらの指先で、しずかに、そっと触れている鼻の感じは、いかがでしょうか?」「充分に、自分の鼻に触れることができましたら、自分の顔の頬骨に触れてみませんか?」「自分の顔の頬骨の感じは、いかがでしょうか?」「目の窪みの下から頬骨の感じは、いかがでしょうか?」「自分の頬骨からアゴの骨のつながりは、いかがでしょうか?」「自分のアゴの骨と頭の骨のジョイントのところの感じは、いかがでしょうか?」「最後に、自分の両手のひらの指先で、アゴから頸すじ、喉のつけねのところに、触れてみませんか?」「両手の指先で、喉から、頸すじの後ろ側まで、頸と頭骨の繋がっている辺りに触れると、どんな感じでしょうか?」「自分の頭蓋骨と頸の骨(頸椎)の繋がりのところの感じは、いかがでしょうか?」「自分のあたまと頸のつながりを確認できますか?」「いま、自分の頸すじの感じは、いかがでしょうか?」
「それでは、今度は、普段使用している自分の櫛またはヘアーブラシを準備してください。」「自分の櫛またはヘアーブラシで、自分の髪の毛をとかす前に、自分の両手のひらの指先で、自分の髪の毛をとかしてみることができますか?」「両手の指先で、自分の髪の毛をとかすと、どんな感じでしょうか?」
「次に、準備していた櫛またはヘアーブラシを利き手に持って、自分の髪の毛をとかして、みませんか?」「普段自分の髪の毛をとかしているように、ゆっくりと静かに、櫛で髪の毛をとかすと、どんな感じでしょうか?」「それでは、いま髪の毛をとかした向きと反対向きに、櫛で髪の毛をとかすと、どんな感じでしょうか?」「櫛またはヘアーブラシで、自分の髪の毛を左側から右側へとかしたら、今度は、反対に、右側から左側へ、自分の髪の毛をとかすと、どんな感じでしょうか?」
「次に、櫛またはヘアーブラシで、自分の髪の毛を、前側から後ろ側へとかすと、どんな感じでしょうか?」「さらに、後ろ側から前側へとかすと、どんな感じがしますか?」
「いろいろな方向へ、自分の髪の毛をとかしてみると、どんな感じでしょうか?」
「いま、自分のとかしてしる櫛またはヘアーブラシを通して、自分のあたまの骨の感じは、いかがでしょうか?」「自分のあたまの骨の形は、いかがでしょうか?」「いま、櫛を使っている人は、ヘアーブラシに替えて、自分の髪の毛をとかしてみると、何か変化はありますか?」「ヘアーブラシで自分の髪の毛をとかしていた人は、櫛に替えると、いかがでしょうか?」
「充分に、ゆっくりと自分の髪の毛をとかすことが出来ましたら、しずかに目を閉じてみると、どんな感じでしょうか?」「目を閉じて、しずかに櫛で自分の髪の毛をとかすと、どんな感じでしょうか?」
「それでは、口を閉じて、ハミングすることができますか?ハミングしてみませんか?」
「いま、口の中で、ハミングすると、どんな感じでしょうか?」「いま、ハミングしている時に、自分の唇の感じは、いかがでしょうか?」「自分のハミングしている声は、いかがでしょうか?」「いま、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」「充分にハミングが出来ましたら、また、しずかな姿勢に戻り、最後に、両手のひらを自分の顔の前で合わせてみませんか?」「自分の両手のひらが、しずかに、そっと触れて、合わさっている両手のひらの感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」「毎日の自分自身のセルフ・ケアは、いかがでしょうか?」
「それでは、これまでの体験をみなさんで、シェアーしませんか?いかがでしょうか?」
以上、簡単ですが、今日の夜中のニューヨーク在住のシェリーさんの世話人のSAWのご報告でした。

5月1日 伊藤稔


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