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SAW 8/13/2023

本日午前1時からのセンサリー・アウェアネスの世話人はマイケルさんでした。事前に手のひらにのるくらいの石とハンカチーフ、バンダナや長めのへら棒または定規等を用意してください、とアナウンスがありました。12時45分にZOOMに入ると、マイケルさんと2人でしたので、日本は、台風(アメリカのハリケーン)が東京、名古屋や大阪方面に接近中で、大変蒸し暑い日が続いている日本のことをニュースで知っていました。世話人のマイケルさんは、ミノルはいつも15分前に参加するけれども、アメリカ社会では、一般的にオンタイムの習慣ができていて、時間丁度にならないとZOOMに入ってこないと話してくれました。

今日の世話人のマイケルさんは、アメリカ東部のメイン州に近いバーモント州のウォーターバリー(Waterbury)市に住んでいます。8月中旬の気候は、朝晩は10度代まで気温が下がり寒く、昼間も25度ほどとのこと。まるで北海道の帯広よりも涼しいのでは?と思いました。マイケルさんは、学生時代は、コロラド州のナロパ大学で東洋思想を学んだそうです。「ナロパ」の名前の由来は、インドの伝統あるナランダ大学の仏教学者の名前に由来しているそうです。ナロパ大学では、「瞑想的」という言葉を、「ある特定のテーマに思いを馳せたり、ただ頭だけで深く考えたりすることではなく、例えば、空腹の人が物を食べたり、喉が渇いた人が水を飲んだりするときと同様に、人間として、おのずから自分の身体が、全体として自然に律して動いている人間存在であること」に用いています。

マイケルさんは、ナロパ大学在学中にシャーロットとブルックスのモヒーガン島のセンサリー・アウェアネス・ワークショップに参加したそうです。そのシャーロットが亡くなり今(2023)年8月22日で20年目を迎える節目にあたり、来週2023年8月19日土曜日(日本時間で20日午前1時から)の週末ワークショップは、シャーロット記念ワークショップを予定していることを参加者へアナウンスしました。昨日のステファンさんのメールで紹介があったシャーロットが100歳の時のYouTubeの動画の中の以下の言葉を、私なりに、いまの心境で翻訳してみました。

Learned ? What do you mean ?  The question of being there for what you are doing.  Being there for what you are doing continue to live the way. Every moment is a moment of learning. It’s not a moment of growing habits. But a moment of learning and a moment of a newness of possibility to live in this world. It’s not comfortable.  For what we are doing something. Feeling, is this really what learned ? Is this really what feels important in my life and maybe to the lives of others ? So, it would be very wonderful if you would. But your own consciousness is always with you. And you can lean from your own experiences.

「“人間が学ぶ“、ということに、どんな意味があるのでしょうか。目的を持って行動していることに何の疑問も持つことなく、普段から自分のからだを動かしていることに何の疑問も持たずに、無意識に習慣化したパターンのなかで動いていませんか。わたし自身に、いま訪れている瞬間、その瞬間が学びであるということに気づいていますか。私たちの生活が、すでに習慣化した流れの中にあること、“人間が学ぶ”ということは、全く異なることです。しかし、“人間が学ぶ”ということは、この世界の中で、生きることの可能性、一瞬、一瞬が、自分自身が、生まれ変わる瞬間であること、それが“人間の学び”であること。それは、決して楽なことではありません。自分が何かをしている時に、自分自身が、全身全霊で学んでいる(感じている)ことです。わたしが生きて、ここの居ること、いま、ここで、感じている(経験している)こと、そのことが大事なことなのです。それは、同じように自分の身のまわりの他者と一緒に生きていることでもあります。だから、それに気づくことは、素晴らしいことです。自分自身が、瞬間、瞬間、いつでも、自分や身の回りの世界、他者や大自然(環境)の在りように気づいていること。そのことが、自分自身の気づきの体験を通した“人間の学び”こそが本物なのです。」

マイケルさんのセンサリー・アウェアネスの実習は、これまでも何回か「石の実習」が行われました。
今日は、石を手のひらで掴む前に、最初、「自分の両手のひらを、よく観察してください。いま、自分の手のはらは、いかがでしょうか?」「自分の手のひらを観て、何か気づくことはありますか?」「手のひら、手の指先、手の甲、左右の手のひらの大きさは、いかがでしょうか?」
「自分の両手のひらをよく観ることができたら、今度は、両手のひらをお互いにが、ふれ合い、両手を石鹸で洗うように、両手のひらでそれぞれの手のひらに触れてみると、どんな感じでしょうか?」「右手のひらが、左の手のひらに触れようとしていますか?」「左手のひらが、右手のひらに触れていますか?」「触れている手のひら、触れられている手のひら、双方の感じは、いかがでしょうか?」
「充分に両手のひらで、手のひらを触れることができましたら、静かに手をもとのところに置いてみると、いま、どんな感じでしょうか?」「いま、両手の感じは、いかがでしょうか?」
「今度は、事前の準備した自分の石に、静かに、ゆっくりと片方の手のひらで触れてみることができますか?自分の石に触れてみませんか?」「いま、石に触れている手のひらの感じは、いかがでしょうか?」「片方の手のひらの上に石をのせて、石を手のひらの中に包むと、どんな感でしょうか?」
「石の重さは、いかがでしょうか?」「いま、片方の手のひらで、包んでいる石は、冷たいですか?」
「手のひらの中にある石の感触は、いかがでしょうか?」
「今度は、もう片方の手のひらを用いて、両手のひらで、石に触れてみると、どんな感じでしょうか?」
「後から触れた手のひらの感じは、いかがでしょうか?」「両手のひらで石を受け取ると、どんな感じでしょうか?」「いま、目を閉じている人は、目を開いて、石に触れるとどんな感じでしょうか?」「目を開けていた人は、目を閉じて、石に両手のひらで触れてみると、どんな感じでしょうか?」
「いま、両手のひらの中にある石の感じは、いかがでしょうか?」
「次に、事前に準備した、ハンカチ(綿布)や手ぬぐいで、石を包んで、触れてみるとどんな感じでしょうか?」「石に直接触れる感じと、布に包まれた石の感じは、いかがでしょうか?」
「布で包まれた石を、手のひらで持ち上げて、自分のからだのお腹に触れてみるとどんな感じでしょうか?」「自分のからだの触れたいところに、布で包んだ石をあてるとどんな感じでしょうか?」
「どうぞ、自分のからだのあちら、こちらに、布で包んだ石をあててみてください。」
「自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」「いま、自分の呼吸は、いかがでしょうか?」
「布で包んだ石を自分のからだに充分にあてることができましたら、また、布で包んだ石を、しずかにもとのところに戻して、置いてください。」「いま、自分のからだの感じは、いかがでしょうか?」
「最後に、事前に準備した、少し長い棒(孫の手、定規、柄杓、長い平たい板等)を手のひらで持ってみるとどんな感じでしょうか?」「いま、手のひらで持っている棒を、両手のひらで、しずかに、ゆっくりと、触れてみると、どんな感じでしょうか?」「いま、手のひらで持っている棒の先で、自分のからだに触れてみると、からだの感じは、いかがでしょうか?」「いま手のひらで持っている棒の先で、自分のからだの触れてみたいところに、触れてみると、どんな感じでしょうか?」「棒の先で、からだを掻いてみる(rubbing)ことは、できますか?掻いてみませんか?」「いま、搔いている感じは、いかがでしょうか?」「石で触れている時、綿布で包んだ石で触れている時、棒の先で、掻いている時、からだの感じは、いかがでしょうか?」「充分に自分のからだに触れることができましたら、これまでの体験を、みなさんで、シェアーしませんか?いかがでしょうか?」

以上簡単ですが、今日の夜半のマイケルさんのセンサリー・アウェアネスの実習報告でした。

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