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伊東博先生の研究(1)

はじめに


人現会50年の歩みを振り返るとき、人現会設立から30年近くは、人現会初代会長の伊東博先生を中心とするワークショップを通した社会的活動と、先生ご自身の精力的な学習と研究活動によって発展してきた。先生が逝かれてからのワークショップは参加者が集まらず中止となり、人現会の会員も他界された方やご高齢になられた方、退会された方も多く、現在の会員は顧問を含めて27名となり、これまでの実質は一部の会員による勉強会を中心にした活動になっていた。

 

ところで、伊東先生の兄学友である、日本のカウンセリングの草分け的存在であった友田不二男(1917-2005)先生については、友田先生のご逝去の4年後に、(財)日本カウンセリング・センターより『友田不二男研究―日本人の日本人による日本人のためのカウンセリング―』(2009)が出版されている。人現会では、伊東先生のご逝去19年後の数年前(2019)に、『伊東博先生 生誕百年 記念誌』を発行して記念パーティーを開催した。


今回、令和5(2023)年の人現会設立50周年の節目にあたり、これまで勉強会で学習してきた伊東先生に係る内容を「伊東博先生の研究」としてまとめた。伊東先生の見識やヒューマニズムの哲学と教養は、私たち会員にとって実に魅力にあふれ、私たちの生き方やあり方に大きな影響を与えてきたのではないだろうか。この資料を一つの学習材として、それぞれの会員がご自身をふり返る契機にしていただければと思っている。また、会員以外に関心をもたれた方がいられたら、この会では、総会時研修会(年1回7月)や勉強会(毎月1回程度)を対面およびオンラインで実施しているので、ぜひご参加いただければと思う。

(人現会 研修担当より)

 

【目次】

第1節  伊東博先生の求められた教育をふり返る ……p.2

第2節  伊東博先生の見識に学ぶ

―伊東博先生の著書より抜粋―  ……p.12

第3節  「ニュー・カウンセリング」研究

―人現会の総会時研修会や勉強会で明らかにしてきたこと―  ……p.25

 第4節 伊東博先生に学び続ける ……p.34

 第5節 「ニュー・カウンセリング」にかえる

 ―人現会設立50周年の節目を機に、私たちの会のあり方を考える― ……p.40

 

第1節 伊東博先生の求められた教育をふり返る

 

伊東先生が提起された「人間中心の教育」とは何だったのか。先生の東京文理科大学教育学科での卒論は『教育者としてのゲーテ』であった。ゲーテのヒューマニズムという人間尊重の精神に深く感動されたことが伊東先生の原点の一つであったのではないだろうか。また、伊東先生は、実存心理学者ロロ・メイの見識に深く共鳴され、教養とコモンセンス(感性)を取り戻すことこそが今日の日本人と日本社会、日本の教育には必要なことであると繰り返し主張された。

また、伊東先生は戦後、第1回ガリオア留学生として渡米し、帰国してから「カウンセリング」という言葉を日本に初めて紹介された。そして、「カウンセリングの観点はそのまま教育の観点である」ということを論じて『援助する教育』(昭和46年)を上梓された。これは、今日の支援教育の先駆けであったように思われる。今日の「神奈川の支援教育」では、昭和59年以降、「ともに生きる・ともに学ぶ・ともに育つ」ということを繰り返し主張しているが、昭和50年に出版された『人間中心の教育』では、伊東先生は,次のような指摘をされている。
1 「ともどもに」という視点を持つこと。
2 「おのずから」という自発的な動きを大事にすること。
3 その人間のプロセス・学習のプロセスを大事にしていくこと。
4 その人間の内にある「学習と成長への衝動」をおろそかにしないこと。
5 観念ではなく、「今ここで」という体験を重視していくこと。
6 教師自身の自己変革こそ必要なことである。
 

そして、伊東先生は,学校そのものを変革する必要があるという考えから、アメリカのヒューマニスティック・エデュケーションを紹介された。また「ニュー・カウンセリング」と先生ご自身が命名され、からだを通して学ぶ教育内容と方法の開発を始められ、昭和55年には『自己実現の教育』を出版された。

その後、伊東先生は、「生きた禅」と呼ばれる「センサリー・アウェアネス」から東洋の文化の価値を学ばれ、友田先生の「日本のカウンセリング」の探求に触発されて、東洋思想を学習されていった。そして、「東洋思想と東洋の文化はすぐれてヒューマニスティックなものである。」と確信され、“アウェアネス”“身心一如”“行住坐臥”“動くからだ”ということを重視して、平成7年にご自身が35年前に出されたカウンセリングの著書を全面改訂された。また平成11年には『身心一如のニュー・カウンセリング』を出版されて、その実習体験の具体的内容と哲学を明らかにされた。 
  

伊東先生は、横浜国立大学の退官記念の論文『「人間中心の教育」の教育課程の提案』(1984)の中で、次のように述べている。


『援助する教育』を公刊した頃から、私の目に「非人間的」に映った現在の教育は、「文化財中心的」であり、従って「学問中心的」「科学中心的」「教科中心的」であり、「人間中心的」でない―人間の本性や人間のプロセスに基づいていない―から、「非人間的」に映っているのだということが判ってきて、私はその後だんだんと、私の教育思想と教育方法の全体を「人間中心の教育」と呼ぶようになっていった。 「人間中心の教育」は、人間のプロセス、特に「学ぶ」というプロセスを明らかにしなければならなかった。私の「人間中心の教育」は、アメリカで展開され始めたHumanistic Educationの訳語でもなければ、またHumanistic Educationの強い影響下にあって進められたものでもないのである。そして、私は、『人間中心の教育』の公刊から『自己実現の教育』に至る5年間に、①教育目標 ②教育内容(教育課程)と教育方法 ③学校・学級運営 ④教育行政、のすべてに亘っての変革を含むもの、を主張するようになった。現に私は今、「人間中心の教育」の教育課程(カリキュラム)の展開に努力している段階なのである。


伊東先生は、ご自分の「人間中心の教育」を求道し貫いて来られた。先生は、当初より「援助する教育」とはto help という動詞を用いるのではなく、to be helpful という形容詞を用いるべきである、すなわち「援助する」というのではなく「援助になる」「援助的になる」ということだと述べられた。その際、『老子』第64章の「万物のおのずから然るに輔いて敢えて為さず。」を引用され、また数学者である岡潔の次の言葉を引用されていた。

「大自然は人の子を生むだけではありません。これを育てます。これがほんとうの教育です。人はその手助けをします。これを人は教育と呼んでいますが、ほんとうは教育の手助けなのです。」(岡潔『風蘭』)


そして、先生は数多くの翻訳と学習、ワークショップの実践を経て、「文明生活のなかで人間の失ってきた自然を回復し、環境と人間における自然を取り戻すための具体的な手だて」として、「ニュー・カウンセリング」というものを創造していかれた。


先生は、『身心一如のニュー・カウンセリング』という著書の中で、「漱石が“大いに味わいがある”と述べた“東洋流の学問”に帰りたいと思っている。」と述べている。私たちは先生のご意志を受け継いでいく意味でも、今後、私たちが東洋流の学問に学んでいくことが必要なのではないだろうか。

 

『援助する教育』(1971年)を公刊された時、伊東先生(当時52歳)が志されたものは何だったのか。


「カウンセリング」は、決して、問題のある子を診断して治療するという、いわゆる「教育相談」と同じものではない。それは専門のカウンセラーという人がやるものと割り切ってはいけない。


私が本書で述べようとしている「カウンセリング」は、いわば「教育」それ自体なのであり、あるいは「教師」それ自体なのである。言い換えるならば、「教育における人間中心の観点」なのである。あるいはまた、「人間不在」といわれる現代教育に対して、もう一度、「人間」という側面からアプローチし直してみたい、ということなのである。


「カウンセリング」は、教育の場に限らず、すべての人間の営みにおける「人間の探究」なのである。


教育のなかでいえば、それは、「人間としての児童・生徒」を追求し、それに関わることであり、または「学習する児童・生徒のプロセス」を明らかにし、それに関わることなのである。だから言い換えるならば、現代的には「教育のなかに人間を回復する」という観点であると同時に、その観点から生まれてくる教育方法論でもある。


「教育方法論」といえば、何かカウンセリングが新しい「教育技術」を提供するかのような印象を与えるかもしれないが、本当は、「人間としての教師」の追求なのであり、そこから生まれてくる現実的な手立てなのである。


本書で私は、私のカウンセリングの経験、大学その他におけるグループ学習の経験にもとづいて、ささやかな私の挑戦をお伝えしたかったのである。

 


自分の経験を述べ、自らの教育への挑戦をお伝えするというだけのことなのだが、私の筆はしばしば、ハタと止まって動き出さなくなったのである。「教育」とはこういうことなんだ、といえることが、どれくらいあるものだろうか? 本書の原稿を書き進めていくうちに、本当に改めて「教育とは何なのだろうか?」という疑問を深くせざるを得なかった。 おそらく「教育」というものは、人間にとって永遠に「挑戦」の対象となるものなのであろう。そして、こうした「挑戦」それ自体のなかにこそ、「教育」の真の意味があるのではなかろうか?


私が本書で、日本の教師に呼びかけたいのは、「カウンセリング」を勉強しなさいといったことではなくて、むしろ「ともどもに教育に挑戦しませんか」ということなのである。 
(『援助する教育』1971年「はしがき」より抜粋)

 

伊東先生が学ばれ私たちに弘められた、ロジャ―ズの「カウンセリングの観点(教育における人間中心の観点)」とはどういうものか。


伊東先生は、この「カウンセリングの観点」について、『援助する教育』出版の24年後に書き直された著書『カウンセリング第4版』では、東洋の教えにしたがって次のように受け止められている。


1 伊東先生は,この純粋性(自己一致)を身につけた人間のあり方を、『老子』の無為自然の教え「上徳は徳とせず、是を以て徳あり。」そのものであるとされた。“上徳”とは,「自分の心の動きに滞りがなく、ごく素直ながら、外からの刺激に動かされない、<虚>である。」という解説を引用され、禅でいう“無心”にあたるものであると指摘された。そして,沢庵禅師の書『不動智神妙録』から、いかにして無心になることができるかという、次のような教えを引用された。


・「無心の心と申すは、右の本心と同事にして、固まり定まりたる事なく、分別も思案も何も無き時の心、総身にのびひろごりて、全体に行き渡る心を無心と申す也。……

心中に何ぞ思う事あれば、人の云う事をも聞きながら聞かざるなり。思ふ事に心が止まるゆえなり。心が其の思ふ事に在りて、一方へかたより、一方へかたよれば、物を聞けども聞こえず、見れども見えざるなり。……思はざれば、独り去りて自ら無心となるなり。」(沢庵禅師)


さらに、先生は,夏目漱石の最後の随筆『硝子戸の中』から次の漱石の言葉を引用されて、純粋性とは具体的にはこういうことだと私たちに述べられた。

・「私のほうでも、この私というものを隠しはいたしません。有りのままをさらけ出すよりほかに、あなたを教える道はないのです。」(『硝子戸の中』)

 

2 「カウンセラーの無条件の肯定的配慮・受容」とは、どういうことか。

この相手への無条件の配慮について,『カウンセリング第4版』で、『老子』の「上仁は之を為して、而も以て為にすること無し。」を引用されて、「“上仁”とは、人の心の、功利を超えた愛、生まれながらの心の已むに已まれぬ表れ、報いを求めない、おのずからのはたらきのことである。」という解説を紹介され、カウンセラー(教師)は“上仁”を備える必要性があることを述べられた。孔子の人間学では「」といい、キリストは「」といい、釈迦は「慈悲」と言っている。これは,言葉は違っても、天地自然の生成化育によって人間に現れた徳、人と人との間に通じる「“いのち”のハタラキ」のことを表現したものである。今日の国際社会のテーマの一つである「人権」ということも、自他ともに敬意をもつ(respect)ということが根幹であり、この「仁」という「“いのち”のハタラキ」こそ、伊東先生が大事にされたヒューマニズムの核心ではないだろうか。

 

3 「カウンセラーの共感的理解(感情移入的理解)」とは、どういうことか。

伊東先生は、この「共感」ということについて、『カウンセリング第4版』の中で、次の『荘子』の言葉を引用されて、本当に共感ができている人間の境地を述べられた。


・「之を聴くに耳を以てすること無く、之を聴くに心を以てせよ。之を聴くに心を以てすること無く、之を聴くに気を以てせよ。気とは虚しくして物を待つ者なり。」(『荘子』)

・「汝、人籟を聞きて未だ地籟を聞かず、汝、地籟を聞きて未だ天籟を聞かざるかな。」(『荘子』)

 

「共感とは、単に積極的に耳を傾けるといったことに止まらず、もっと言葉を超えたところでの響き合い、人間特有の存在のしかた、まさに“気をもって聴く”というような宇宙的な感情を共有する、といったものがあるように思うし、“天籟を聞く”となると、人間と人間を越えて、まさに宇宙・大自然との融合という境地になるのであろう。」(『カウンセリング第4版』)

 

そして、伊東先生は、漱石の『硝子戸の中』に描き出された吉永秀との会話の場面を「漱石の共感」という視点で分析された。


『老子』には,「善人は不善人の師,不善人は善人の資」という言葉があり,相手が先生であり,自分の学習と成長をたすける資(たから・もとで)である,ということを踏まえることが重要な観点であると述べている。


伊東先生は、ロロ・メイ著『存在と発見』(伊東博・伊東順子共訳)より、「人間から完全に独立した科学という考え方はまぼろしに過ぎない。」(ノーベル物理学者ハイゼンベルク)という言葉や、「人間から遊離した客観性を求める傾向は“主体と客体の分裂”であり、こうした分裂が今日に至るまでのすべての心理学のガンである。」(ビンスワンガー)という言葉を取り上げられた。

 

『人間中心の教育 教師の自己変革をめざして』(1975年)を出された頃、伊東先生(当時,56歳)はどのような思いを抱かれていたのか。


前書『援助する教育』を世に問うてから4年の歳月が流れた。この間に世界は大きく変わった。1973年末に世界を襲ったオイルショック以来、人口・食料・資源・公害の問題は、人類の生残にかかわるものとして、今や地球規模において応急の解決を迫られている。……


本書は、「人間中心の教育」という風車に向かって猪突猛進を企てた一人のドン・キホーテの実践的思想を表明したものなのだが、このドン・キホーテは今や、その風車に向かって突き進むことを、絶望しながら断念しようとしている。日本の(教育の)現状は、もはや取り返しがつかないほどに荒廃しきってしまったのではないだろうか?

 

『自己実現の教育 豊かな人間性の育成をめざして』(1980年)を世に問うた頃、伊東先生(当時61歳)はどのような思いを抱かれていたのか。


「人間中心の教育」という風車に向かって猪突猛進することを「絶望しながら断念しようとして」いた私が、その5年後に、なお老いた猪のごとくに弱々しく風車に向かって前進を続けているのは、ひとえに私の業の深さによるものである。


そして、この三部作を今ふり返ってみると、この10年間の私の教育観がきわめて一貫していることに自ら驚くのである。それは一言でいえば、「教育のなかに人間を回復する」こと、あるいは「教育における人間の復権」を核心に据えて、そうした教育を現実化するための具体的な教育課程、教育方法、および教育経営を、力の及ぶ限り追求したということである。

 


伊東先生は,これからの学校では,調和的・全人的な教育内容で生きる力を育て,「自己」の学習,人間関係の学習,人間とは何かという学習をカリキュラムにしっかりと組み入れていく必要があると述べられた。そして,伊東先生は,これからの学校は,インフォーマルに個別的に自主研究ができるようなあり方が大事であると指摘された。さらに,伊東先生は,これからは,「特色ある学校」「民主的運営」「ミニスクール」「地域社会と住民参加」の開かれた学校にしていこうと主張された。また,「ひとりひとりを生かす学級・学校経営」が大事であり,キャリア・エデュケーションは小学校段階から始める必要があると提言された。


これらは今日の学校教育の課題を踏まえると、実に先見の明のある見識であったと思われる。


伊東先生は,「人間中心の教育」というものに目覚めて10年,学校教育の目標から教育内容と教育方法,学級・学校運営,教育行政のすべてにわたって,「人間中心の教育」の具体を展開された。そして,この『自己実現の教育』公刊以降,81歳でご逝去されるまでの20年間,教育の中に人間を回復するためのカリキュラムを求めて精進されていったのである。

 

伊東先生は『身心一如のニュー・カウンセリング』(1999年)という教育内容や教育方法の具体を提案され、ご自身の学習を深化されていった。 


「身心一如のニュー・カウンセリング」は、伊東先生が求めるヒューマニズムの具現化として提案された体験実習(人間としての学習と成長を輔ける一つのアプローチ)である。「ニュー・カウンセリング」は、シャーロット・セルヴァーがドイツでエルザ・ギンドラーから20年にわたって学び、ナチスより逃れてアメリカに亡命して弘めた「センサリー・アウェアネス」を出発点あるいは原点としている。


「センサリー・アウェアネス」とは、「“いのち”の流動・変化」に意識を集中させて、身心一如なる“いのち”におのずから起こってくる感覚を感じ取って、自分に与えられた“いのち”の何たるかを学んでいく「“いのち”の自証」の過程を体験することである。“いのちのままに”意識を添わせて集中することであり、自分自身の“いのち”を内観する時間を敢えて作り、ありのままの「“いのち”の流動・変化」に意識を向けていくのである。また、立居振舞という「動くからだ」そのものが敏に自然な振る舞いとなっていくことでもある。


伊東先生は,「ニュー・カウンセリング」で、人間の健全な動きについての健康法を具体的に提案されたのではないだろうか。60歳~65歳まで毎年のように入院されていた伊東先生は、「その後の6年間に一度も入院をせず老化の進行に抵抗して肺機能をずっと維持できたのは、“アレクサンダー・テクニーク”や“ボリセンコ式呼吸法”によるものだと思っている。」と、自らの養生について述べられた。先生は、「身心への気づき(アウェアネス)」を目標にした西洋の知恵に学んでいかれたのである。


伊東先生は、「人間にはその身心の構造や機能に適合した動き方がある。その動き方から外れると故障や障害が起こる。」と、「ニュー・カウンセリングの哲学」で述べられた。先生は、マシアス・アレクサンダーが発見した英知から、「人間の伸びる方向を輔ける」ということを学び、健康な動き方というものを提起され、その原理を私たちに紹介されたのである。


また、深い腹式呼吸をして、それに精神を集中する「ボリセンコ式の瞑想法」も紹介された。先生は、この瞑想法を、「東洋と西洋の知恵が見事に融合した、一つの観点を表している。」と評価され、ご自身の養生法にも生かされ、なおかつ「ニュー・カウンセリング」にも取り入れていかれたのである。


アレクサンダーは「アタマが上に伸びる」といい、伊東先生は「レスティング」を奨められ、荘周は「踵で息をする」(『荘子』)といい、ボリセンコの瞑想法や坐禅では腹式呼吸(丹田呼吸)に集中することを教えている。生来の「“いのち”のハタラキ」をそのハタラキのままに機能させる身心のあり方であり、伊東先生はこれを「全体として機能する人間」と述べられた。


伊東先生は「身心の健康」ということを真摯に追求されて、「ニュー・カウンセリング」として体系化された。そして、“社会的健康”ということも大事なことであると述べられた。

 

さて、ニュー・カウンセリング・ワークショップの世話人は、「今、呼吸はどのようになっていますか。」「足の裏はどんなふうに床とかかわっていますか。」といった、参加者が自分自身の“いのち”への意識を拡げていくインストラクションを、その時その場の状態に応じたピッタリのタイミングを観て発していく。


また、「(もしよろしければ)両手でアタマに触れてみましょう。」とか、「(もしよろしければ)ペアの人の手に自分の手を触れてみましょう。」といった、実験的な試みを提案し、参加者が自分の“いのち”に起こっていることにより意識を向ける場をつくる。その“いのち”に訪れてくる感覚は、自分にとっては絶対のものであり、それをおろそかにしないようにするのである。


「ニュー・カウンセリング」には、「自然とかかわる・美をさがす」という実習があるが、これは「“いのち”の声」に耳を澄まし、「“いのち”の自然」と一如になる体験をすることである。


伊東先生は、地球の重力に対する身の処し方・からだがおのずから向かう方向に気づく道を弘めた「アレクサンダーの英知」に学ばれた。アタマを首の上にどのように置いていくのか、また背中を広げること、すなわち背中というバックボーン(骨)をどのようにつかうのか、さらに腿の方向を意識することで「身心のバランス」をとることに自分の意識を向けることによって(to become more aware)、“いのち”の主体性が芽生えていき、不思議に表情も立派になっていく、という西洋の英知を紹介されたのである。


伊東先生は「人間には成長への衝動(GrowthDrive)がある。」と述べられ、その人間の「伸びようとするハタラキ」を輔ける道を求められた。伊東先生はワークショップで、参加者のアタマ全体が上に伸びるのを輔けるために、参加者の横に立ち、「上に伸びる。上に伸びる。」とよくささやかれていた。上に伸ばすのではない。上に伸びる、それを輔ける。自分が伸びることに気づけるようにする。これが、「アレクサンダーの知恵」を紹介された主眼であった。


伊東先生の偉大な点は、自らが求道したヒューマニズムを、万人が身を以て具体的に学習できる一つの手だてを提案された点にある。まさに、「人間中心(人間らしさ、人間尊重、人間性)の教育を現実化する」ための方法を、自分の人生をかけて具現化されたのである。合理性と我欲の充足に目を奪われ、情報や刺激に振り回されて、“いのち”の主人公である自分自身の内的感覚やハタラキをおろそかにしている私たちに対して、ワークショップを通して“いのち”の何たるかに気づく場を提供されてこられた伊東先生の姿は、私たち後進の者にとって大きな道標となったのである。


伊東先生は,57歳の頃から“朝の目覚め”という健康法を毎日続けられた。これは先生が自分なりに工夫された養生法であった。先生はご自身の養生を楽しんで継続し、その効果が大きいものだと確信されて「ニュー・カウンセリング」の一つの実習として提案されたのである。

 


伊東先生は「ニュー・カウンセリング」で「ムーブメントと鑑賞」という実習も提案された。これは、“いのち”における「バランスやリズムの感覚」を覚醒させる場を提供するもので、先生が長い間、ムーブメントの音楽の収集をされてきた結集として「ニュー・カウンセリング」に取り入れられたものである。伊東先生にとって、音楽はヒューマニズムにおいてとても大切なものであったと思われる。


また、伊東先生はワークショップのセッションの前に、「We Are the World」や「When a child is born」という歌を一緒に歌われた。これは、伊東先生のヒューマニズムへの志であった。先生は、「リズムカル・ムーブメント」の実習を通して、私たち日本人が“自然のリズム”を取り戻す契機になることを願い、リズムに合わせてからだを動かす機会を私たちに提供されたのである。


「ニュー・カウンセリング」の核心は、自分自身の“いのち”におのずから生じていく感覚を、「“いのち”の自然(おのずから然る動き)」に即してよく感じ取り、その感覚が伝えているメッセージ(“いのち”の声)に耳を傾け、“いのち”の何たるかに気づいていくこと(アウェアネス)にある。感じ取るということは、実に微妙で豊かで味わい深いものであり、それぞれの人の“いのち”に備わっている内的感覚をおろそかにしない生き方がヒューマニズムの原点であり、「人間中心(人間らしさ、人間性、人間尊重)の教育を現実化する」ことに他ならないのだろうと思う。

 

伊東先生が晩年に大事にされ、私たちに語りかけてこられたことは何か。


『美は世界を救う』(ロロ・メイ著、伊東博訳)

日本社会と日本の教育の変革はどんな方向に向かうべきだろうか。私の考える究極の目標は「感性」だ。それは「コモンセンス」なのだが、普通訳されるような「常識」、つまり知識ではない。文字どおり共通の「感覚」、つまり「感性」なのだ。信教は自由だから何を信じてもよいというのは理屈であろう。価値の多様性ということもまた、民主主義の落とし穴だ。感性は「美」を見分ける力である。「美」にすべての価値が統合されている。「美的感覚」があれば、人に迷惑をかけたり、人を殺したりはしない。環境を破壊することもない。あの敗戦から50年が経った。私たちにはまだ少しも「美」に対する感性が育っていなかった。


具体的に教育の中ではどうするか。それはまず「人文科」の復活である。教育におけるヒューマニズムの復活である。哲学・文学・芸術・歴史の復活によって、美を教え、人間を教えることである。敗戦の直後私たちは文化国家をつくろうとした。その「原点にかえる」のである。この時また、東洋思想に回帰してほしい。論語・老荘・仏教・芭蕉・漱石はヒューマニズムであり、実存の思想である。教育はまず、カリキュラムの抜本的改造から出発すべきである。   (『教育相談研究』1995年10月号巻頭言より抜粋)

 


伊東先生は、「美術・音楽・詩などといった人文科は、ただ一つの目的のために存在するのです。それは、人間存在の質を高めることです。人文科(ヒューマニティーズ)の復活を」というロロ・メイの主張に共鳴された。


「ニュー・カウンセリング」には、「美の鑑賞」という実習がある。美を鑑賞する者自身が「生き生きと純粋な人間になる」ということを願い、鑑賞教材を用意して参加者に味わっていただく場を提供する。伊東先生は、「教養とコモンセンス(感性)がカウンセラー(教師)には必要であり、信頼されるカウンセラー(教師)は、教養から発するゆとりのようなものを身につけている。非人間化を克服するには、教養・文化を身につけるしかない。そして、感性を磨くとは美を見分ける力を身につけることであり、ニュー・カウンセリングの実習を通して、美に目覚める一つのきっかけになればと思っている。」と述べられた。

 

『カウンセリング第4版』(1995年)は、1959年に伊東先生が出版された著書『カウンセリング入門』から始まり、何度か書き直されて35年間7万部以上印刷されたものを、全面改訂された本である。その内容には、伊東先生が求めていかれた“カウンセリング”が集約されている。

 

この『カウンセリング第4版』は、ロジャーズに始まって「ニュー・カウンセリング」にいたる私のカウンセリングの観点を述べたつもりである。「アウェアネス」を核心にすえ、「身心一如」の基盤に立ち、老子・荘子・禅仏教・夏目漱石などの東洋思想・日本文化からカウンセリングを説明しようとした。これは、私自身のカウンセリングだと思っている。「私自身のカウンセリング」を述べる人が日本には少ないと思う。


私は、自分なりのカウンセリングを追求してきたと思っている。そして、カウンセリングは、あくまで自分なりのものだと思っている。私たちは、自分のカウンセリングをやるよりほかにはないのだと思う。

(人現会会報第32号「病中閑を得て―私の近況報告」1995年)

 

伊東先生は「カウンセリング」という言葉を使って、その何たるかを問いながら、その具現化の実践を一途に求めてこられた。

 

ところで、伊東先生は、最晩年、『身心一如のニュー・カウンセリング』の出版記念会と傘寿のお祝いの会に体調を崩されて欠席し、40分ほどのメッセージをテープに録音されてその席で述べられた。このテープは,伊東先生の切なる肉声であった。

 

漱石は、明治維新以来、怒涛のように日本に押し寄せてきた西洋文明の危険性をよく知っていたようである。そして東洋文明に還ろうと言っている。戦後、西洋文明はさらに勢いを増して日本人を圧倒している。そして今、日本社会の崩壊を象徴している諸々の問題(オウム、バブル、学校崩壊、その他すべての暗い問題は、)西洋文明と東洋文明(あるいは日本人)との間に生じた「きしみ」から起こっているのではないだろうか。東洋に帰る、自然に帰るは、ニュー・カウンセリングの重要な基本哲学である。

 

シャーロットの「センサリー・アウェアネス」「アレクサンダー・テクニーク」は、西洋に生まれたものの中で、珍しく、自然にかえることをやっている。「アレクサンダーの4つの方向」も、人間が伸びていく自然の方向である。


老子の「万物の自ずから然るに輔ひて敢えて為さず。」の重み。「おのずからしかるところ」「おのずからそうであるところ」「おのずからそうなるところ」


西洋文明は、地球と人類を滅ぼそうとしている。漱石の一言一言が予言めいて聞こえる。もうアルコール中毒から抜けられないのかもしれない。


日本のカウンセリングは、こんなところにもどりたい、と思う。


あまりにも大問題なので、だれもにわかには賛成してくれないと思う。しかし、本当に言いたかったことは、こんなことでした。

(夏目漱石は、最晩年、午前中は『明暗』の原稿を書き、午後はみずから漢詩を作っていました。『吾輩は猫である』からずっと、東洋の人だったように思います。)

(1999.7.21 湯河原のワークショップで配布された伊東先生からの資料より抜粋)

 

シャーロット・セルヴァーの「センサリー・アウェアネス」は、この自然に帰るという、東洋思想の発想と同じである。彼女は、鈴木大拙などの老師とともに、いつも禅寺で共同の研究をしていたのである。西洋文明の中に、こんな東洋を見出すとは私は思い及ばなかった。


カウンセリングについても、これまで、ロジャーズだとか、誰それだとか、特にアメリカからの方法技術ばかりが輸入されてきた。アメリカのカウンセリングは、西洋文明と西洋哲学の中で育ったものであり、日本人の学ぶべきものも多く教えてくれたが、基本的に、日本人の生活やものの考え方とは違うものも、かなり無反省に取り込まれたように思う。それが、混乱を引き起こしているのに、実は、まだ無理に西洋に合わせようとしているように見える。


日本のカウンセリングを探し求めて25年になる。やっと、一つのカウンセリングの体系として、その理論と実践を、『身心一如のニュー・カウンセリング』としてまとめた。そして、やっと学会で認められ、辞典にも載るようになった。 (人現会会報1998年より抜粋)

 

伊東先生は、「自分なりのカウンセリング、即ち自分なりの人間探究をやるより他に道はない。」と述べられた。私たちは、それぞれ自分なりの「人間中心(人間尊重、人間性、人間らしさ)の教育」を追求するより他に道はないということである。友田不二男先生は次のように述べている。

 

一言で言えば簡単なんです。易経も一つの道ならば、カウンセリングも一つの道です。違うのは言葉だけ。そりゃ易だとか、カウンセリングだとか言っても、御殿場口から富士山に登るか、須走口から登るか、ただ名前が変わっているだけ。登り方の、登ってやっていることに、一向に変わりはない。 

友田不二男「易経とカウンセリング」(1996年)

 

孔子が“仁”という徳を追求し道を弘めていかれたことも、道元がひたすら只管打坐して瞑想や悟りの過程を探求し仏教哲学を究めたことも、芭蕉が西行らを師として俳諧の旅に命をかけたことも、漱石が自分の鶴嘴で文学を書き続けて自己の深層の探究をしていったことも、伊東博先生が「人間中心の教育」を追求していかれたことも、登り口はそれぞれ違うけれども、自分なりに富士山をめざして人生を一途に歩んでいかれたのである。


伊東先生は、57歳の時に、田原豊道氏からヨーガを習い始められた。若い頃に肺を患った先生にとって、“呼吸とからだ”の問題は切実な日頃からの養生の問題であり、先生はこの頃から、「“いのち”の何たるか」ということを、身をもって追求されていたのではないだろうか。晩年の先生は、常に吸引器を持ち歩き、ステロイド剤で発作を押さえながら命を懸けて道を弘める取り組みをされていたのである。


伊東先生は最晩年、夏目漱石と対峙しながら、自分の病気への身の処し方を学ばれ、漱石の言葉を借りて、「東洋にかえろう」「自然にかえろう」と主張された。これは、アメリカで「カウンセリング」を学び西洋の文化の中で育った英知を日本に紹介された先生が、シャーロット・セルヴァーが弘めた「センサリー・アウェアネス」との出合いによって、東洋や自然の何たるかを教えられ、先生ご自身が東洋に帰られたのではないだろうか。すなわち、「自然と一如」という東洋のあり方の値打ちに目覚められたのであろう。そして、ご自身が探求されてきたことを東洋の哲学や思想から見直され、「身心一如のニュー・カウンセリング」という独自な体験学習を体系化されて社会に提案されていかれたのである。


伊東先生は、非人間化する日本社会や教育の現状を憂え、ここから脱却していくには、「コモンセンス(感性)と教養」が必要であると述べられた。特に、「コモンセンス」とは“美を見分ける力”であり、その美こそが世界を救う、というロロ・メイの考えに共鳴された。


伊東先生は、人間を身心一如として観ることの重要性を繰り返し述べられた。感覚や呼吸に意識を集中していくこと、ムーブメントにより自分の内なるバランスやリズムを覚醒させることは、身心一如である“いのち”を自得することであり、“いのちの何たるか”という“全一(our whole being)の把握”につながるのである。


伊東先生は、自分が病人とは思えないほどいろいろなことをやっていることにご自身で驚いていられた。先生は、敏に動いて学んでいく人であったし、私たち人現会の学友は常に新しい自分を志向していられる先生に魅力を感じ続けてきたのではないだろうか。


伊東先生は,『援助する教育』で,「教育とは挑戦それ自体であり,ともどもに教育に挑戦しませんか。」と私たちに呼びかけられた。先生は,「援助する教育」から「人間中心の教育」へ,さらに「自己実現の教育」へと挑戦を続け,晩年には「身心一如のニュー・カウンセリング」として自ら追求したヒューマニズムを具現化してこられた。また,先生は「人間としての教師」の追求をしていこうと述べられたのである。

 

第2節 伊東博先生の見識に学ぶ  ―伊東博先生の著書より抜粋―

 

(1) 鎖国―開国(明治維新)―第二次大戦の敗戦(西洋に追いつき追い越せ) 学校は西洋を教えるところだった。日本人の生活とかけ離れた校舎,机,椅子,科目(開国以来130年,戦後はアメリカ文明,それでも戦前の中学校には西洋史のほか東洋史もあり,漢文も正課だった。高等師範の英語科で使った『論語』のテキストは注釈まで漢文だった。)「民主主義」「自由」「価値の多様性」などは日本では失敗したのではないか。漱石はそのことを予言しているかのようである。カウンセリングも西洋哲学に基づいたものであり,日本人に合わなかったのではないか。操作主義・技術主義だから。東洋は自然に手を加えない。ロジャーズなど,東洋的な考えを示したが,しゃべりすぎるし,東洋には入りきれなかった。自己主張トレーニングよりも消極的な「共感」の方が大事。カウンセリングでは最近,この方向がおろそかになっていないか。


西洋文明は,地球と人類を滅ぼそうとしている。漱石の一言一言が予言めいて聞こえる。もうアルコール中毒から抜けられないのかもしれない。日本のカウンセリングは,こんなところにもどりたいと思う。あまりに大問題なので,だれもにわかに賛成してくれないと思う。しかし,ほんとうに言いたかったことは,こんなことでした。(夏目漱石は最晩年,午前中は『明暗』を書き,午後は自ら漢詩を作っていました。『猫』からずっと,東洋の人だったように思います。)(「ニュー・カウンセリングの哲学」の背後にある哲学より 1999.7.21)

 

かつて,漱石は「怖くて怖くて堪らない。心臓の恐ろしさだ。脈を打つ活きた恐ろしさだ。僕は人間全体の不安を,自分一人に集めて,そのまた不安を,一刻一分の短時間に煮詰めた恐ろしさを経験している。」(『行人』)と云ったが,伊東先生も漱石のような恐怖を感じていられたのかもしれない。そして,漱石の次のような見識に学ばれたのである。


「吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果,不自由を感じて困っている。それだから西洋の文明などはちょっといいようでも,つまりだめなものさ。これに反して東洋じゃ昔から心の修業をした。そのほうが正しいのさ。見たまえ,個性発展の結果みんな神経衰弱を起こして,始末がつかなくなった時,“王者の民,蕩々たり”という句の価値を始めて発見するから。“無為にして化す”という語のばかにできない事を悟るから。しかし,悟ったって,その時はもうしようがない。アルコール中毒にかかって,ああ酒を飲まなければよかったと考えるようなものさ。」(『吾輩は猫である』)

 

伊東先生は,「自己主張トレーニングよりも共感の方が大事。この方向がおろそかになっていないだろうか。」と述べられた。昨今,私たち日本人の多くが自己主張を第一に考えて,他者への敬意や配慮,共感を粗末にして,相手の身になって振る舞うということができない人が増えているように思われる。学校にいじめが後を絶たないのは必然だろうと思う。自分の眼鏡(自己の価値観,内部的照合枠)で他者を見ることを第一に考えていては,自分の意に反し面白くない他者に対して何らかの攻撃や排除をしたくなる心が湧いてくるのは必然ではないだろうか。

 

(2) いま,「日本は没落する」と警告する人が増えた。毎日のニュースをみていると,日本の経済ばかりではなく,社会も制度も,教育も,まことに危機に瀕しているように思われる。そして,それは,とくに明治維新以降,あわてて,無茶苦茶に吸収した西洋文明の行き詰まりをあらわしているのではないだろうか。そして人びとがそのことに気づき始めているように思うのである。環境の自然と人間の自然の崩壊を導いてきた西洋文明の危険な方向に早く気づいて,これからは東洋で大事にしてきた自然にかえることが,緊急に必要になっているのではないだろうか。ニュー・カウンセリングの実習は,そうした意味で,環境と人間における自然を取り戻すための具体的な手だてであると思っている。(『身心一如のニュー・カウンセリング』)

 

「大自然のハタラキ」を無視して、人間の都合で自然を作り変え、人為・人工的な社会にしていけばいくほど,人間の「内なる自然」は無視され破壊されていくのではないだろうか。また、四季豊かな日本の自然や風土が変わってしまうとしたら,私たち日本人が自然とともに歩み育んできた,繊細で豊かな情緒や感性が失われていくのは必然である。そんなことになれば、それこそ取り返しのつかないではないだろうか。人工知能・遺伝子操作・自動運転・ロボットなど,複雑化し機能をますます高めていく機械文明や,「成長戦略・一億総活躍社会」といったような一見カッコいい言葉に振り回されて、潤いやゆとりのない働き過ぎる苛酷な社会を継続しようとする社会に私たち日本人はますます陥り,それに容易にブレーキをかけることもできない状況になってはいないだろうか。晩年の伊東先生が痛切に指摘されたことはこの危機意識に他ならないし,先生は一途に人間性や,からだの声,身心一如の“いのち”というものをおろそかにしない生き方,それを具現化する方法を求めていかれたのである。


たとえば,「ニュー・カウンセリング」の「自然とのかかわり」という実習では,自然とのふれあいを通して自分の「内なる自然」に気づき,その実習の参加者がありのままの“いのち”に立ち返る場を提供している。


私たちは,科学の進歩,それに伴う副産物を次から次に追い求め,快適さ・便利さ・合理性を優先させ,使い捨てや大量消費をしてきた結果,取り返しのつかない地球環境の変化を招いてしまった。それだけでは済まされずに人間の「内なる自然」をも壊してきてしまった。伊東先生は,「明治維新以降,あわてて,無茶苦茶に吸収した西洋文明の行き詰まりをあらわしている。」と指摘されたが,これは、私たち日本人の内に長い間育ってきた感性や美意識を通さずに科学や機械・物質文明を善いものとして受け入れてきた必然の結果なのかもしれない。だからこそ,「環境と人間における自然を取り戻すことが緊急に必要になっている」のである。

 

(3) ニュー・カウンセリングでは,他人を操作しないし,自分も操作しない,と私は言っている。……「援助する」(to help)こともかなり操作的に受け取られていることが多い。「援助的になる」「援助的である」(to be of help)という形容詞を用いた叙述のほうが適切であるように思う。それは,言うまでもなく,たとえばカウンセラーがクライエントに対して何かをする(援助を与える)のではなく,クライエントが学習し成長するのに,カウンセラーの存在あるいは行為が,その役立っている,という意味なのである。(『身心一如のニュー・カウンセリング』)

 

(4) 私たちは,生涯,バランスの学習を続けなければならないのである。バランスは,普通考えられているような,からだの平衡状態であるだけではない。それもまた,「身心一如のところにある」ものである。リズムもバランスも,身心一如のところにあるのだが,リズムはひとつのバランスであり,バランスはひとつのリズムであるのだろう。(『身心一如のニュー・カウンセリング』)

 

(5) 自分のなかで現にいま起こっていることを,その起こるがままに許す(そのまま感ずることを許す)ことができれば,歪曲された観念やイメージ,あるいは「正しい真理」という呪縛が解けて,ありのままの自然のリズム,自然のプロセスが戻ってくる。それが人間回復の第一歩なのである。それは「感ずる」ことから出発するので,ニュー・カウンセリングではまず,この「感ずる」というところ(これまでの「考える」という習慣をやめて)を取り戻すことから始めなければならないのである。(『身心一如のニュー・カウンセリング』)

 

“感じるということ”は、複雑なことであり豊かなことであり,実に個人差のあることであり,その時その時違っているものである。人間の“いのち”の内にあるハタラキやおのずから生じてくる感覚は自分にとって絶対のものであり,その内的感覚をよく感じ取って生きることが人間回復の根本であることを,伊東先生は認識されていた。私たち日本人は,私たちの内にある「己の本質の内的感覚」をおろそかにして、科学やその副産物である物質文明を享受し続けてきた結果,社会生活における「調和とバランスの感覚」を見失った人間を生み出すことになってしまった。伊東先生は,「自分のなかで現にいま起こっていることを,その起こるがままに許す(そのまま感ずることを許す)こと」により,私たち日本人は内なる人間性を回復していくことができると述べられた。

 

(6) 気がつかない間に日本人はすっかり変わってしまったような気がする。こんなにたくさんの問題が噴出してきて,やっとそれがわかった気がした。吾人が自由を得たのは,西洋から輸入した自由であった。自由を用いる準備ができていないところに自由を得たので,すっかり不自由になった。(漱石『猫』より)その状況は,ほぼ90年後の今日でもあまり変わっていないのではないか。つまり平成10年の吾人もまた,自由の意味がよくわかっていないのではないか。それに伴う責任の方を無視すれば,それはただの勝手ということになる。民主主義とともに,価値の多様性といわれた。みずからの無価値を覆い隠そうとすれば(無意識的なことが多い),それは単なる価値の破壊者となる。価値の多様性という美化された言葉で,他の価値を破壊しているのではないか。それは共通感覚(コモンセンス)や常識を打ち破るものである。そして,文化や芸術を破壊してしまうものである。ロロ・メイは,現代は「新ナルシシズム」の世代であることを嘆いている。「私はOKだ,あなたもOKだ」「自分と仲良くなる」という自己中心性をロロ・メイは「私が私であれば症候群」と指摘した。日本でも自分のなかにひきこもり,まわりが見えない人が激増している。……これらは,言い換えればそれは,日本人そのもののなかに巣くっている病巣ではないか。そして,これらの病巣のために,日本人は今,ちゃんと立てなくなっているのではないか,ということである。ちゃんと立っていないと,背骨が真っ直ぐにならない,つまり文字通り「バックボーン」がなくなってしまうのである。日本人は身心一如に,バックボーンを崩してしまったのだろうか。今の日本人は「立つこと」から始めなければならない状況にある,というのが私の仮説の結論である。(『身心一如のニュー・カウンセリング』)

 

さて,私たちの身近なところで,日本人の常識が変わってきてしまった。かつて人現会の勉強会では,哲学者である中村雄二郎(1925-2017)の「共通感覚論」を学習してきた。私たち日本人の共通感覚(コモンセンス)が変わってきてしまったのである。当たり前の挨拶さえもできない人間,「お世話になっています」「ありがとうございます」「おかげさまで」といった自然な応対ができない人間,その場を踏まえた言動ができない人間,自己を省みることをしないで他者を平然と攻撃する人間が増えてきた。伊東先生は,『身心一如のニュー・カウンセリング』のなかで,次のように述べられた。

 

「わが国では,近年,あやしげな宗教が出てきたり,残虐な犯罪が頻発したり,詐欺に近いセールスや,ほんものの大掛かりな詐欺犯罪が氾濫していて,善良な人びとが,それにいとも簡単にひっかかっているのを見ると,美の意識,感性,共通感覚が現代の日本人に欠けていることを痛感せざるを得ない。おそらく,日本人の自己喪失の状況が深く浸透してしまったのであろう。それを生み出したのは,科学万能主義(技術の偏重)と経済発展至上主義(金儲け主義)であるのだろう。美の意識,感性,共通感覚の目覚めるような社会体制・教育体制が今ほど望まれる時代はないであろう。


一方において,人間関係を恐れて自分のなかに引きこもってしまう人があり,経済の異常な発展に伴って,自分のことしか考えない利己主義者,甘やかされて責任を負えなくなった自由主義者が,いま日本には氾濫している。日本人と日本の社会が危険な症状を呈していることに多くの人は疑いをもたないであろう。何か大事なことが大きく抜け落ちているに違いない。その大きく欠けているものの根源が,感性であり,美の意識であり,コモンセンスなのだろう,と私は思っている。


あやしげなものに対して用心しているばかりではなく,美醜をかぎ分け,適不適を見分けるような知識,見識,感覚,感性が人びとに必要なのであり,そのほかに“見聞の広い,物知りの”人間,それはきっと教養と文化を身につけた人であると思うが,そんな人間がこれからの世の中に生きてほしい人間なのではないだろうか。」

 

伊東先生は、アメリカの実存心理学者ロロ・メイ(1909-1994)が述べる「教養とセンスの必要性」(ロロ・メイ著『美は世界を救う』)に共鳴され,私たちにその重要性を伝えられた。伊東先生は、生活を充実したものにし,もっと生き生きとしたものにし,人生には喜びがあることを実感し,「生きることの質」を高めるために,美術・音楽・詩などといった人文科の復活を呼びかけるロロ・メイに学ばれた。そして、伊東先生は今の日本人には美の意識を高めること,感性や共通感覚を磨くことが必要であると述べられた。伊東先生の学生時代の卒論は『ゲーテにおける教育』だった。その後,「カウンセリング」を学ばれて、人間性の回復のための具体的な教育の手だてを一途に探究された。その結実が『身心一如のニュー・カウンセリング』であった。伊東先生は次のように述べられた。

 

「昨年(1994年)の秋以降,筑波の医師の母子殺人事件,学校のいじめ・自殺,愛犬家連続殺人事件,阪神大震災,地下鉄サリン事件,学校の体罰殺人事件等々,つらいニュースばかりで,この国に生きているのが恐ろしくなってきた。……オウム事件を特殊な人たちの特殊な発想と見るべきではない。私たちの今の現実の社会の中で,げんに起こっていることなのだ。ある意味でオウム事件は,日本のこれからの社会,これからの教育のあり方に大きな要請を突き付けたのである。日本の社会も,日本の教育も,文字どおり「抜本的」に変革されなければならない。それについての見解がどこからも出てこないのはどういうことだろう。今度の選挙でも,そんな見解を聞くことはまったく出来なかった。政治家はどんな責任を感じているのだろうか。


それでは,その日本社会と日本の教育の変革はどんな方向に向かうべきだろうか。私の考える究極の目標は“感性”だ。それは“コモン・センス”なのだが,普通訳されるような“常識”,つまり知識ではない。文字どおり共通の“感覚”,つまり,“感性”なのだ。信教は自由だから何を信じてもよいというのは理屈であろう。価値の多様性ということもまた,民主主義の落とし穴だ。感性は“美”を見分ける力である。“美”にすべての価値が統合されている。“美的感覚”があれば,ひとに迷惑をかけたり,人を殺したり,環境を破壊することもない。あの敗戦から五十年が経った。私たちはまだ少しも“美”に対する感性が育っていなかった。……」

 

日本の学校では“いじめ”の問題が繰り返され,いじめ防止推進法という法律までできたが,その後も“いじめ”や不登校は増え続けている。伊東先生は次のように述べられた。


「校内暴力だ,いじめだ,登校拒否だ,と次々と問題が起こってくるのは,その土壌である学校の教育そのものに問題があるからだ。突き詰めていけば,家庭や社会の問題になるだろう。表面にあらわれてきた問題にかきまわされて“もぐらたたき”を続けるかぎり,もぐらは姿と場所を変えて,いくらでも出てくるだけだ。これまでの教育問題の対処の仕方を見ていると,同じことの繰り返しである。文部省やその審議会では,しばしば“抜本的改革”の必要性を述べる。“抜本的”という意味をほんとうに考えている人がいるのだろうか。教育は百年の大計だ,ということが今ほど痛切に感じられることはない。……」

 

そして,伊東先生はこうした問題に対処するために,晩年には呼吸器障害で吸引器を持ち歩いて,将に命をかけて自分なりの「ニュー・カウンセリング」を探究し,一つの教育方法論として世の中に提案された。身心は一つであり,いかに身心を即応させて心の安定を保ち自己修養につなげていくのかという人生の課題について,「“立つということ”から始めよう。」と述べられ,具体的な実習の場を提案され,自らのワークショップを通して実践してこられた。

(7) 私たちは,生まれてすぐに,たいへんな苦労をして学んだことを,ときどき,学び直さなければならないようである。車は,1年,半年ごとに点検・整備する人が多いけれども,自分の身心を,時々でも,少しでも整備している人は非常に少ないのである。老化を防ぐといった消極的なことではなく,身心の機能は毎日すこしだけの整備で,機能が維持されるばかりではなく,歳をとっても,機能が向上するものなのである。私は57歳からヨーガを習い始めたが,そのときから自分のからだがだんだんやわらかくなっていくのにびっくりした。そして,きっと知力の方でも,いつも頭を使っていれば,きっとその機能が向上するにちがいないと自信をもつことができたのである。

 

伊東先生は,薬に頼らない行動医学の医師ボリセンコの呼吸法や瞑想を学習し,彼女の『からだに聞いてこころを調える』という著書を翻訳された。心は目には見えず容易に変化させることはできないので,身心一如,心身即応である“からだ”を調えることで心を調えていくことが大事であると指摘されたのである。また,アレクサンダー原理(アレクサンダー・テクニーク)を紹介され,からだの自然な四つの方向を意識した行住坐臥を心がけるだけで病気を予防し健康な生活を保てるのではないかと教えられた。「ニュー・カウンセリング」の基本的な実習「坐る・立つ・ねる・歩く」はこうした原理を生かしたものでもあり,本来の“いのち”がおのずからハタラク(機能する)ようにする養生法を提案している。

 

(8) 歩くことは本来楽しいことである。坐っていて立ち上がると目線が変わって世界の見え方が変わってくるし,さらに歩いて移動すると世界も移動し,見えるものが変化するばかりではなく,見えるものの量も増えてくる。これは,人間の好奇心を満たすので(学習するのに)まことに必要欠くべからざることである。だからきっと,歩くということは,知的な発達にとっても大事なことであろう。また,歩くことによって足のウラの刺激が脳に伝えられて,脳の活動を活発にする。足と脳の途中の神経系統も働くし,血流も促進され,全身の筋肉も骨格,関節もみんな働くから,歩くということは,人間の身体的,精神的,社会的なすべての機能の活性化につながるのである。というよりも,人間の動くこと,生きることの基盤なのだと言った方がよいであろう。(『身心一如のニュー・カウンセリング』)

 

伊東先生は「歩くことは本来楽しいことである。」と述べられた。“いのち”が機能し,“いのち”が新しくなる過程を味わうことは実に楽しいことである。自然は実にさまざまなことを教えている。そうした教えに耳を傾けると,己の内にさまざまな感覚がおのずから生じてくる。「ニュー・カウンセリング」の実習に,「歩くこと」や「自然とかかわる・美をさがす」というものがある。伊東先生は、『身心一如のニュー・カウンセリング』のなかで、「私たちが聴く耳さえもっていれば,天の星は音楽を奏でているのです。」というギリシャの哲学者ピタゴラスの言葉を紹介されている。

(9) 人間性の否定は,今日,いたるところに存在している事実なのだが,世界の多くの社会においては,そうした現象が政治的な混乱のもとに公然と正当化されていたりするのである。文化の程度が高いと見られている社会においても,人間性の否定ないしは軽視は,隠然として,つまり多くの人の目にはそれと映らないまま,厳然と存在しているのである。それは,科学・技術の発展,経済力の膨張などの必然の帰結として生ずることもあり,社会が経済の発展のみを重視したり,教育や文化が科学・技術を偏重したりするときに,そのひずみというかたちで起こるものである。今日の我が国の状況などはその典型的な例であると思う。このようなときに人間性の回復が叫ばれ,人間性回復の運動が起こったりするのであるが,そうしたヒューマニズムの歴史のなかでも,直接的に人間性を回復するための有力な方法論が開発されたことがなかったように思うのである。ニュー・カウンセリングは,こうした人間性回復の方法論として,あるいはもっと人間性の回復と直接につながる予防医学の出発点を形成するものと位置づけたいと思っている。(『身心一如のニュー・カウンセリング』)

 

伊東先生は,人間性は「おのずからそうであるところ」,「おのずから然るところ」に生じていくと考えられた。昨今の日本は経済優先であり,資源の乏しい日本は科学技術に力を入れ,ますます科学や技術の発展に邁進している。しかし,その負の部分として人間性をますますおろそかにしてしまったのではないだろうか。「センサリー・アウェアネス」を弘めたシャーロット・セルヴァーは次のように述べている。

 

「私たちは自分のなかに持っている内なる知恵を,全く信頼できないようにされてしまっているのです。私たちの内部には未使用の偉大な豊かさがあるのです。それらを順次発掘し,発展させなければなりません。」

 

伊東先生が追求された「ニュー・カウンセリング」は,それぞれの人間の内にある「自然なハタラキ(人間性)」がおのずから生じてくるような実習の場を提供するものである。「ニュー・カウンセリング」では,人間性がおのずから生じて気づきが生まれるように,自他の「“いのち”の過程」を無視する可能性がある操作を戒め,目的遂行の行為を優先しないように用心する。機械・物質文明をさらに進化させ,これからAI時代をさらに進化させようとしている日本人にとって,人間の「内なる自然」に目を向け,その急速な変化を己れの感性で受け止めていく場を提供する「ニュー・カウンセリング」はたいへん意義のあるものではないだろうか。

 

(10) 「自然のリズム」がもどってくるのには,私たちは,長い,長い時間をかけなければならなくなっているのではないだろうか,と私は考えている。つまり,とくに私たちの国(社会)には,リズムに合わせてからだを動かす,などという機会が非常に少ないので,私たちのからだでいえば,関節や筋肉がコチコチに凝り固まっていて,サビ付いていて(こころの方も同じであることがすぐわかるのだが),「自然のリズム」がもどるのには,何年も何年もかかるだろうと推定しているのである。(『身心一如のニュー・カウンセリング』)

 

伊東先生は日頃より趣味としてリズム音楽に親しみ,その持ち前のハタラキで「ムーブメントの教材」を数多く収集されていた。また、先生は57歳からヨーガを取り入れて「朝の目覚め」「ウォーキング(歩くこと)」「レスティング(ねること)」という『怠け者の60分健康法』を20年以上続けてご自身の生を養ってこられた。

 

(11) 身心の老化は,主として使わないでいることから起こるものである。数年間「朝の目覚め」を続けているうちに,からだが非常にやわらかくなっていくことに気がついた。身も心も使うことによって若返るのである。そして,そのことを,私は今,それこそが「自然」なのだ。「おのずから然るところ」にしたがうことなのだ,と思うようになった。「おのずからそうであるところ」を妨害したりせず,サビ付かせたりしなければ,「自然」の力が維持され発揮されるのだ,と思うようになった。西洋の思想は,自然に徹底的に手を加えて(操作して)自然を変えてしまうのが文明であり,文化であった。東洋の思想は,その自然をそのまま,手を加えないで,その力にまかせよう,という考え方である。西洋思想にもとづく現代文明は,人間の便宜のために自然を破壊してしまった(そのことを「人間中心」として非難する言い方もある)。当然のことながらその過程のなかで人間をも傷つけてきた。自然は回復することが困難な状況になっている。人間も回復することが困難になっているのかもしれない。そのことに気づいている人は極端に少ないからだ。ニュー・カウンセリングの根底には,こうした「自然にかえる」という考え方がある。あるいは,ニュー・カウンセリングの実習は,こうした自然(人間の自然,環境の自然)を妨げているもの,サビ付かせているものを排除して,「自然にかえる」ことを目指しているのだと思うようになった。人間には自己治癒力があると近頃いわれるが,治癒だとか,ヒーリングだとかいうよりも,むしろ自然の力なのである。悪い,病気のところがなおるのではなく,成長する自然の力なのである。(『身心一如のニュー・カウンセリング』)

 

伊東先生が追求され一つの教育方法論として提案された「ニュー・カウンセリング」の実習の核心は,人間の「内なる自然」,すなわち,おのずから然るところ,おのずからそうであるところのハタラキにしたがうことによって,本来の“いのち”の機能が発現されるということにある。また、そのおのずからの「“いのち”のハタラキ」によって生じてくる新たな感覚をよく感じ取り,それぞれの気づきや発見を分かち合うことを通して,“自分というもの”や,自他の“いのち”の存在がより見えてくる場を提供する。


それが「自然にかえろう」ということであり,東洋の先人たちが長い間,求道してきたことであるので,その意味で「東洋にかえろう」と述べられたのではないだろうか。戦後の日本は、自然を作り変える科学技術の進化を追い求め,機械・物質文明が幸福をもたらすものととらえて,便利で快適で物があふれる社会を築いてきた。それは西洋文明の延長上に発展してきたものであった。しかし,その必然として、物が豊かになれば心が貧しくなり,自然を破壊すれば人間の「内なる自然」もおろそかになり,科学技術の素晴らしさを強調すれば機械に頼り生来の「生きる力」を弱めることにつながり,私たち日本人が長い間大事にしてきた繊細で豊かな情緒や細やかな心遣い,礼という「調和とバランス」を重んじる文化をおろそかにする日本社会にしてしまったのではないだろうか。その結果,親子間での虐待や殺人,精神疾患者の増大など,さまざまな問題が次から次に形を変えて起こるようになってしまったのであろう。多くの人たちは,これらの問題の原因は,自然の何たるかを忘れ,東洋で大事に求めてきたものをおろそかにしてしまったことにある、ということに気づいてはいない。伊東先生は傘寿記念の人現会総会の場で,「西洋文明は,地球と人類を滅ぼそうとしている。漱石の一言一言が予言めいて聞こえる。もうアルコール中毒から抜けられないのかもしれない。日本のカウンセリングは,こんなところにもどりたいと思う。あまりに大問題なので,だれもにわかに賛成してくれないと思う。しかし,ほんとうに言いたかったことは,こんなことでした。」と、録音テープを通して述べられた。しかし,その後も日本の政治はますます人工知能・自動運転・遺伝子工学・原子力など科学技術の発展を執拗に追い求め,元気のよい高齢者を働かせて経済成長を為そうとしている。ほとんどの日本人は便利で快適で合理的な社会を何よりも善いものとし,スマホやゲームにはまり,快適な自動車などにお金を投資し,宇宙に目を向け,我を張り合い,自分の利益を優先する生活を求め続けている。一方で,社会生活ではさまざまな不安を抱えながら,「社会的な健康」をおろそかにして,物質や情報に振り回され,我欲に縛られ,「足るを知る」ことも,本当の幸せとは何かを問いかけることも忘れてしまったのではないだろうか。

 

(12) 教育の変革,学校の変革は,教師の自己変革によってのみ成し遂げられるのではないけれども,教師の自己変革は,学校変革,教育変革の最も中心的な出発点であると思う。こうした意味で,教育の中心である教師に対して,世間の目は冷たすぎると思う。何か事件が起こると,教師が非難され,校長がテレビで謝るという図式が定着した。しかし,政治や,地域社会や,教育委員会にもっと大きな責任があると私は思っている。ひとりの子どもを育てることだって,実にたいへんな仕事であることは,誰にもわかっていることだと思う。それなのに,40人もの児童・生徒をひとりの教師にあずけっぱなしにしておいて,何かあったときに,いきなり責任を追及するということはどういうことなのか。そうした責任を充分に自覚した上で,教師にものを言ってもらいたいと思うのである。(『身心一如のニュー・カウンセリング』)

(13) ニュー・カウンセリングにおける実習は,「体験」そのものなのである。あえていえば,「人間を体験すること」なのであり,「かかわりを体験すること」そのものなのである。(『身心一如のニュー・カウンセリング』)

 

伊東先生が私たちに弘められた「センサリー・アウェアネス」や「ニュー・カウンセリング」の核心は,「“いのち”の過程」でおのずと起こっていることをありのまま(誠)によく内観し,その感覚が伝えるメッセージに気づくというところにある。「ニュー・カウンセリング」の実習は,自分の内におのずから生じてくる感覚をよく感じ取る体験学習の場である。「かかわる」とは,目には見えない「与えること・受け取ること」の過程をよく感じ取り,かかわる自分の感覚や感情,あるいは意思を自覚し,異質なよさから学んでいくことでもある。

 

(14) 私は,自分なりのカウンセリングを追求してきたと思っている。そしてカウンセリングは,あくまで自分なりのものだと思っている。私たちは自分のカウンセリングをやるよりほかにないのだと思う。(『カウンセリング第4版』)

 

「日本のカウンセリング」の草分け的存在である友田不二男先生の言葉に従えば,人はそれぞれの道を歩んで自分なりの真理を見出すことが最も確かな道である,ということになる。私たちはそれぞれ自分なりの教育をやればよいし,自分なりの教育方法を見出しながら教育というものに挑戦すればよいのである。だから,「人能く道を弘む。道,人を弘むに非ず。」(『論語』)なのであろう。教え方とか教育技術とかを問題にする時はこのことを十分に踏まえておく必要があるのではないだろうか。教育技術・教育方法というものは,教育をする人と一体のものであり,その人の必然から見出された真理であり,そのままそっくり他人が真似をできるようなものではない。すぐれた点については学び参考にすることはできるが,あくまでも自分なりの試行錯誤の経験を経て見出していくものだろう。伊東先生は自分なりの「カウンセリング」を求めて、「ニュー・カウンセリング」というものを創造していかれたのである。

 

(15) カウンセリングも教育も,人間の自発する力に加勢するだけのものであって,外からの力によってこうした力を植え付けることはできない。だから,教師が「教え育て」たり,医師がなおしたりしているのではなく,教師も医師も,人間の「おのずから発している」ところに加勢し,援助しているだけなのである。子どもは,ほんとうは,学びたいときにだけ学んでいるのであり,患者もおのずからなおる力が発動してきたときにだけなおっているのである。(『カウンセリング第4版』)

 

その人間が自分に与えられた「“いのち”のハタラキ」にしたがって,それぞれの道を歩むことができるようにすることこそ,最も確かな教育である。したがって,それぞれの“いのち”がおのずから発するもの,おのずから知りたい・やってみたいという思いが発現するような場をつくっていくことが課題である。

 

(16) 「いかにあるか」を忘れ,「いかにするか」に没頭しているうちに,純粋性を失い,受容を失い,共感を失い,技術のはしはしにこだわることになってしまい,世が(カウンセリングのみならず,教育も,経営も,日本社会全体が)乱れることになってしまったのではないだろうか。(『カウンセリング第4版』)

 

(17) 自分は何を感じているのか,何を考えているのか,自分はいまどうなっているのか,何をしているのかなど,それらについて偏見もなく,防衛もしないで,そのありのままの状態に気づいて(アウェアして)いるならば,症状や問題に対して,どのように立ち向かえばよいかが,おのずからわかってくるのである。(『カウンセリング第4版』)

 

(18) 私は,「ニュー・カウンセリング・ワークショップ」における経験から,人間を,その身心一如のままに受け取ることが,人間をそのありのままに見ることだと思うようになった。だから,「心の健康」「からだの健康」という言い方も間違いであるし,「からだのリズム」「こころのリズム」という言い方も誤りであるし,「からだのアウェアネス」という言い方もまた誤りなのである。だからまた,「心とからだの統合」ということも,二つに分けてその二つを統合するのだから,それも間違いなのである。(『カウンセリング第4版』)

 

言葉は嘘がつけても,「からだ」という自然は正直である。身心のありのまま(誠)を把握することが生きることの基本である。伊東先生は、人間(自分)が身心一如の存在であることを十分に理解され,「全一なる “いのち”(our whole being)」の現在の姿を把握することの大切さを確信されて、「身心一如のままにその人間を受け止めよう」と述べられた。そして、先生は,この人間の理解について,老荘の「無為自然」,沢庵禅師の云う「不動智」,荘子の「気を以て聞くこと」などの言葉を引用されて,カウンセラー(教育者)のあり方を教えられた。

 

(19)  おそらく「教育」というものは,人間にとって永遠に「挑戦」の対象となるものなのであろう。そして,こうした「挑戦」それ自体のなかにこそ,「教育」の真の意味があるのではなかろうか? 現在の日本の教育界が,こうした「挑戦」を妨害する風土をもっており,また教師たちがこうした「挑戦」の意欲を欠いているのは,まことに残念に思われるのである。私が,日本の教師に呼びかけたいのは,「カウンセリング」を勉強しなさいといったことではなくて,むしろ「ともどもに教育に挑戦しませんか」ということなのである。(『援助する教育』)

 

伊東先生は,孔子が「吾が道は一以て之を貫く」(『論語』)と述べたごとく,高度成長期の日本が経済発展に目を奪われておろそかにしてしまった人間性(人間の「内なる自然」)を取り戻すための挑戦をして生涯を貫いてこられたのではないだろうか。

 

(20) 校内暴力だ,いじめだ,登校拒否だ,と次々と問題が起こってくるのは,その土壌である学校の教育そのものに問題があるからだ。突き詰めて言えば,家庭や社会の問題になるだろう。表面にあらわれてきた問題にかきまわされて「もぐらたたき」を続けるかぎり,もぐらは姿と場所を変えて,いくらでも出てくるだけだ。これまでの教育問題の対処の仕方を見ていると,同じことの繰り返しである。文部省やその審議会では,しばしば「抜本的改革」の必要を述べる。「抜本的」という意味をほんとうに考えている人がいるだろうか。教育は百年の大計だ,ということが今ほど痛切に感じられることはない。日本の目標を,経済中心から文化国家の樹立にもう一度もどしてほしい。いま若い人びと,中高年の非常に多くの人たちが,ものすごく忙しいと言う。日本人は,みんな,一生懸命働いて,そしてこんな国をつくったのだろうか。それでもまだ働き続けようとしている。道路や公園のゴミを見るだけでも,今の日本人がいやになる。私は大きな疑問に直面して,ニッチもサッチもいかない深い穴にはまりこんでいる自分を発見する。(『喜寿に生きて』)

 

伊東先生は教育を抜本的に改革しようという志を抱かれ,『援助する教育』『人間中心の教育』『自己実現の教育』『身心一如のニュー・カウンセリング』へと挑戦を続けてこられた。先生から見ると,本気で抜本的な改革をしようと現実化している人は少なかったのであろう。教育への志は次の世代に伝わり,さらにその志を学んだ世代が次の世代に具現化をして実現していくといった長期的な視点に立てば,「教育は百年の大計」ということになる。家庭においても,今やっていることは実は孫の世代にまで影響を与えていくことになるだろう。「“いのち”のつながり」とはそういうものであり,今,私たち日本人がやろうとしていることは次の世代のみならずその次の世代にまで大きな影響を及ぼしていくものだろう。


伊東先生は,自らの志と現実の足元とのギャップに改めて愕然とされ,「ニッチもサッチモいかない深い穴にはまりこんでしまった」自分を自覚されたようである。

 

(21) 私自身は,人現会というものが,やはり,「学習する集団」なのだ,ということを再確認しているのである。「学びて時にこれを習う,またよろこばしからずや。朋あり,遠方より来る,また楽しからずや。」という『論語』冒頭の一節を,人現会の最近の姿に重ねて,しみじみと味わうこの頃である。(『人現会20年のあゆみ 原点にかえる』)

 

伊東先生は76歳の頃,「入院するかどうか」と迷うほどの身心不調に陥って,自宅での休養中心の生活をされていた。その時に病中閑を得て,ニーチェに学び,漱石に親しんでいられた。『硝子戸の中』に出てくる太田達人は漱石の親友で,先生のご出身である秋田県の母校の校長をした人であることが判り,また秋田中学出身の瀧田樗陰という人が漱石のところによく訪れていたことを知り,この二人について調べて50枚近くのレポートをまとめられたという。人現会の勉強会に出席されたその頃の伊東先生は実に生き生きと学習されているご様子であったようで,いっしょに参加していた者がその感化を受けたとのことである。「人現会は学習する集団である」というのが、伊東先生の心願であった。

 


ーーーー伊東博先生の研究(2)につづくーーーー

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