(オンラインで実施 参加者9名)
【前半】 「センサリー・アウェアネス(SA)」の実習(世話人:伊藤稔)
(R5.11.18 SA財団のオンライン実習(世話人:ジュディス)を基にした実習体験) テーマ「見ること・観えること」
・日本画家の横山大観の雅号の字「観」は、宮本武蔵の『五輪書』水の巻に出て来る「観 の目強く、見の目弱く」から採用したとのこと。
・ジュディス先生の言葉かけは「Looking and seeing, how difference for you ? 」か ら始まった。
(参加者の感想・話し合い)
・手を持ち上げるという小さな動作なのに大きなエネルギーを使っていることに気づいた。呼吸も深くなっていった。
・身心一如に“いのち”が調っていく体験であり、しっくり落ち着いた“いのち”に景色が映ってきた。
・手先の冷たさや腰の痛みを感じ、吐く息の量が多くなり、痛みが無くなっていった。また、子どもの頃の体験がよみがえってきた。
・目を開いた時と閉じた時ではからだの感じが違っていた。目を開くとからだが軽くなり、目を閉じると重い感じがした。また動いた後、からだが軽くなった。
・私の場合は逆で、目を開いた時にはからだが重く、閉じた時の方が軽かった。目を閉じると呼吸が深くなり、手を上げると呼吸が半減されたように感じた。からだの左側は周りを同化して軽く透明になったような感じを持ったが、左側は違った感じがした。また、目を閉じて歩いた時、座布団が厚く感じられた。
・目を閉じても歩くことができるのが不思議だった。
・からだが温かくなり呼吸が深くなって、いろいろな経験が思い浮かんできた。からだも脳も活動した実感があり、身心がはたらくようになった体験であった。
・聞こえること、聴くこと、触れて聞くこと等についての意見が出された。
・身心一如の「観ること」と「見ること」がひとり一人の人間の存在・尊厳に基づいていること。そこが大事なように思われた。
【後半】 シャーロット・セルヴァー100歳のときのWSビデオ『Charlotte Selver: Being More Present ―Becoming More Substantial』(You-tube動画)の原文と翻訳を基にした学習
・聞けども聞けず。何かにとらわれていると聞けなくなってしまう。
・表面的に言葉を聞くのではなく、その言葉の奥にあるものを聴いていく(洞察する)こ と。
・仏教英語 Suchnessについて、訳語「真如」は「無分別智」を求めていくことである。
◇「センサリー・アウェアネス」に通じる禅思想について(提案)
・SAは分別(言葉)から入り、無分別を相手にすることへと導いているのではないか 。
・身体の一部分へ注意を向ける呼びかけや、動かしてみませんかという提案、また身体への意識をひろげていく発問に特徴があり、感じや変化を感じ分ける呼びかけから 感覚への集中を促していく。そして、「感覚的・身体的な気づき」を促すことから、もっと深い気づきへと導いている実習である。
・日常生活のなかで、「“いのち”の自然」(おのずから然る“いのち”のハタラキ(感 覚・動き・流れ))をありのままに内観・意識して「身体的・感覚的な気づき」を得て 目覚めていく(学習する)体験を求める「センサリー・アウェアネス」を、「世界の禅 」という視野に立てば、東洋で受け継がれてきた禅思想につながるものがあるのでは ないか。たとえば、このビデオにあるシャーロットの次のような言葉は、次の臨済禅師の教えに通じているように思われる。
(1)Becoming More Substantial(よりリアルな実在になること)
・「無位の真人」(本来備わっているところ)に目覚める(『臨済録』) 生来の“いのち”のハタラキに気づくこと。それは「“いのち”の自然」にかえるこ とに他ならないだろう。
(イ)Every moment is a moment of learning.(日常はいつも気づきの時である)
・「随処に主とれば立処皆な真なり」(『臨済録』) (その場その場で主人公となれば、自分の居場所はみな真実の場Really Beingとなる。)
(ウ)Really being is a very, very amazing thing. (真実の存在はとてもとてもすばらしいことである。)
・「」(その人が、実は形もなく姿もなく、根もなく本もなく、場所ももたないけれども、ぴちぴちと躍動していることを見て取ることです。)(『臨済録』)
(エ)So it means, really, our own devotion. No matter how difficult it may be to come to a true connection with things and people,......
(だから、本当に、私たち自身の信じる心があるかを意味しています。難しい事柄であっても、それ が物事や人と真実にかかわることになるのです。)
・「の学道の人は、く自ら信ぜんことを要す。外に向かってむるれ。」(『臨済 録』) (道を学ぼうとする人たちは、ともかく自らを信じなくてはならぬ。これを 自己の外に求めるなかれ。)
※『臨済録』には、「自らを信じよ」といった意味の言葉が20回近く出て来るという。
(報告者:人現会研修担当 富塚)
【次回の予定】
日時:令和6年1月28日(日)14:00~16:00
場所:東京都町田市芹が谷会館(オンラインでも同時に実施)
内容:実習「朝の目覚め」(世話人:小池治道)また、小池先生へのインタビューを予定
シャーロット・セルヴァーの言葉を読み合う(今回のような学習を続ける)
なお、今後、これまでの勉強会で翻訳し読み合ってきた、シャーロットが語ったさまざまな言葉を改めて学習していきたいと考えています。