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人現会会員より

人現会の皆様、大変にご無沙汰いたしております。春からの新型コロナの影響で生活もま まならず、スッキリしない毎日ですね。長い梅雨が明けたと思ったら酷暑に参っております。 私は,「自然の中の生活学習会」のキャンプのお手伝いなどをさせて頂きながら、人現会 とは首一枚が繋がっているような状態でしたが、この度、障害を持つ息子を育てていて学ん だこと、また自身がキリスト教信者としてミッションスクールで学んだこと、人現会の研修 などで教わっていたこと、いろいろな今まで生きてきた結集として,あることを始めました。 今日はこのことをご報告がてらお伝えしたいと思います。

私が人現会のワークショップに参加し出したのは、かれこれ 37 年前位からだったと記憶 しています。横浜のミッションスクールの教員として中学生たちと学校生活を送っていた 頃です。その頃は授業研究や運動部の指導に明け暮れていました。学校の中でスクールカウ ンセラー室なるものを作るという動きがあり、興味を持っていた私は同僚の教員の勧めも あってカウンセリングの勉強を始めました。その後,ご縁があり人現会の門を叩き,伊東先 生のワークショップに参加するようになりました。心と体は連動していることに気づかさ れました。学校の生徒たちに寄り添う教員になれたかはわかりませんが、心と体を傾けて話 を聞こうと努力していたと思います。

東京の学校に移り、結婚して、旦那の留学のためにアメリカに行き、現地での出産や子育 て、日本の文化の紹介をさせて頂いたり、久しぶりに家族でアメリカ国内やカナダなど旅行 するチャンスにも恵まれたりしました。アメリカの教会で時々ホームレスのランチを作る ボランティアをさせていただきました。やはり、アメリカは弱者に手を差し伸べるボランテ ィア活動が盛んでした。(横浜の学校時代,私は YWCA というボランティア部の顧問をして いて、高齢者施設や視覚障害児施設や養護学校などに生徒たちを連れて行ってボランティ アをしていました。)

帰国してから教員に復帰するも、家事や育児と仕事で無理がたたり肺炎になって入院し ました。レントゲンの結果、肺は真っ白で水も溜まっていて危ない状況でした。後に医師をしている弟から,「あの時は死んでしまうかと思った。」と言われました。

泣く泣く学校を辞めて子育てに専念していました。子育ては楽しいこともあるけれど激 動の日々でした。子どもは 3 人と思っていましたが、長男が弟を欲しいというので産むこと にしました。4 番目の子は兄弟みんなに可愛がられて育っていきましたが、2 歳前くらいか ら様子がおかしくなりました。家から脱走したり、出ていた言葉を喋らなくなったり、小児 科を始め小児神経科、児童精神科などいろいろな伝手 つ て を辿って、ドクターショッピングしま した。「自閉症」と診断され、認めざるを得ない状況でした。絶望しながらの子育てが始ま 令和 2 年 6 月 22 日付の「千葉日報」 に紹介されました。 2 りました。しかし、上にいる兄弟にも食べさせ、面倒を見なければならず、落ち込んでばか りもいられず保育園に入れてもらうように活動しましたが、どこも「手のかかるお子さん は・・」と断られ続き、私も息子も社会から拒絶されているように強く感じました。健常な 子どもであればどこでも受け入れてくれるのに、20年前は障害を持つ子どもと母親を受 け入れてくれるところは本当に少なかったのです。小さな息子は寝ない、食べない、目を離 せない状況が続き、母親である私は精神的に限界に来ていました。

ある時、私を助けてくれていた友人が、障害を持つ子どもを受け入れている保育園の情報 をくれて訪ねてみました。そこはキリスト教保育をしている保育園で、園長先生が私の話を ゆっくり聞いてくれて,「お母さん、この子を一緒に育てましょう。」と言ってくれたこと は一生忘れません。日中は保育園で息子を預かってもらえるようになり、他にも同じように 困っている母親たちがいるのではないかと思い、障害を持っている子どもの言葉を伸ばす 方法や、身辺自立の進め方,使える福祉サービスなどの勉強会「にじの会」を立ち上げまし た。東京から療育の専門家の先生たちを招聘しての感覚統合訓練や療育をスタートしまし た。

息子が特別支援学校小学部の 5 年になった頃、これからは余暇活動も大事と考え、大学生 の兄貴たちと活動するメンズクラブを作りました、年に 6 回位ですがお出かけしたり、芋掘 りに行ったり、体育館で身体を動かしたり、お泊まりもしました、地域の子ども会と一緒に キャンプをしたり、自閉症の子どもの相手は大変で、いろいろな人たちの力をお借りして、 今まで生き延びてきた感じがします。スポーツマンのお兄さんが「お任せください」と言っ ていましたが、くたくたに振り回されていました。こういう子どもの相手は体力ではないで すね。

さて、そのように手のかかる可愛いい息子を育てながら、社会ばかりをあてにしないで、 欲しいサービスや、あったら良いなあと思ったことは、自分たちで作っていくのも大事であ ると考えるようになりました。「無い,無い。」と嘆くより、「自分たちで作ってしまう」 方が早い。子どもの成長は早い。行政のやることを待っていたら、子どもたちは大人になっ てしまうという焦りもありました。

息子の様子が少し落ち着いてきたら、私自身が社会に出て働きたいと思い、息子を預かっ てくれるようなサービスもできてきたので、高齢者のグループホームのヘルパーや出張の 料理スタッフなど,限られた時間内に収まる仕事にチャレンジしていきました。学校の教壇に立っている夢も時々見たけれど、いつ何が起きるかわからない状況の息子を抱えての教 員の仕事は厳しいと判断しました。

おもちゃ図書館との出会い


障害のある息子はおもちゃで遊べない子どもでした。3 歳のある日、公民館に併設された おもちゃ図書館に行ってみたところ、オルゴールのおもちゃに釘付けになり,そこのスタッ フさんに遊んでもらいご機嫌でした。「あ、遊べるんだ。」とびっくりした母でした。おもちゃ図書館は外国で障害を持つ子どもの母親が,障害を持つ子どもや母親たちが邪魔され ずにゆっくり遊べる場所として始めた運動で、日本では国際障害者年に入ってきて全国に 広がり,現在は 350 箇所ぐらいで活動しています。

私はもう少し時間ができたらスタッフになりたいと思っていましたところ、ボランティアさんがご高齢になり引き継いでやる方がいなかったため、残念ながら閉館となってしま いました。手のかかる息子以外にも 3 人の子どもを抱えて余裕がなかったので,その時,私 は引き受けられませんでした。そして,「いつかできるようになったら、必ずおもちゃ図書 館を復活させる。」と思いながら暮らしていました。

チャンスは 11 年前にやってきました。息子の学校生活も落ち着いてきたので遊びを出前 する NPO と組んでキリスト教会の礼拝堂をお借りして月に 2 回午前中,子どもとママたち が気軽に来れるおもちゃ図書館を開催しました。cafe のようにコーヒーとケーキなども用 意して・・それから場所を転々と移しながらおもちゃ図書館を継続しました。ある日,新聞 を見ていましたら、コミュニティーカフェ講座(無料)の広告を見ました。地域で拠点を持 っておもちゃ図書館をやりたいと考えていましたので、ランチやコーヒーなどを出しなが ら、子どもたちがママたちと遊びに来られるようになるといいな,と夢は膨らんでいきまし た。この講座を受けながら夢を現実にすべく、具体的に考えて計画を立てる勉強をしました。 お店のコンセプトやメニュー、平面図、会計や資金繰りなどなど。

しかし、少し先のことぐらいに思っていたところ,この講座が終了したタイミングで,仲良くしていた青年が,難病の ALS という体の筋肉がだんだん効かなくなっていき 2〜3 年で 全身動かなくなるという病気を告白してきました。「僕には時間がない。」・・と。2017 年 の 1 月でした。彼の夢は子どもが集まる駄菓子屋をやることでした。我が家の 4 人の子ど もが大変にお世話になり、恩義を感じていた私は一緒にお店をやろうと考えました。彼の症 状は口から始まっていたので歩けなくなるまでは早いと医師から忠告されていましたので、 2 人で物件探しをし、彼が車椅子になっても動きやすいように、駅近くの古民家を借りるこ とにしました。2017 年 5 月 20 日おもちゃ図書館 Café Santa(Snack Bar ナカジ)オープン!

沢山の友人や支援者に囲まれながら、ナカジ(中島君)は半年お店に立ち続け、子どもた ちとやりとりしながら「人生で 1 番幸せな時間だった。」と語っていました。秋になりお店 からの帰り道に転んだことをきっかけに,「お店を退きたい。」と告げられ、私が駄菓子屋 の店長代理をすることになりました。ラインなどで彼に指示してもらいながら、駄菓子の仕 入れなどを担うようになりました。現在、ナカジは器官切開して施設にいますが、まだ目は 動くのでパソコンの視線入力と読み上げ機能を使って、これから私たちと繋がって欲しい と思います。現在、遠隔操作でロボットを操って社会と繋がったり、ベッドの上から操作し て仕事をしたりしている人たちもいます。ぜひナカジにはそれを目指して欲しいし、駄菓子 屋にオリヒメロボットを入れて、ナカジが施設のベッドの上から操作して店長に復帰する ことを目指したい。ナカジはひとりぼっちじゃないよ、みんながついている。・・そんこと も本気で目指したい!と思っています。

さて、近頃、西宮がやっていることをお知らせしましょう。

カフェサンタをオープンして 1 年が経ちました。2018 年 4 月から、ナカジとお店が落ち着 いたら子ども食堂をやろうと話していて、その約束を果たすべく、ボランティアのスタッフ に相談しましたら、「みんなでやろう。」ということになって始めました。地域の繋がりも 希薄になってきた現在、「みんなで集まって、楽しく食べよう、繋がろう」をスローガンに, 子ども食堂の名前は「サンタみんなの食堂」としました。

昨今,子どもの貧困が話題やニュースになり、7 人に 1 人の子どもが貧困であると言われ ています。貧困の色をあまり表面に出したくはありませんでした。いろいろな人、赤ちゃん から高齢者まで来ていますが,その中に混ざってきて欲しいと願っています。最初は20人 くらいの参加者でしたが,開催時間 2 時間の間に 50〜60 人のお客さんが来ます。スタッフ は近所の大学生や大人で,15人くらいで運営しています。月に 1 回,第 2 土曜日 17 時か ら 19 時では,スタッフの中に 92 歳のおばあちゃんもいます。中学生まで無料、高校生から 300 円を頂きます。子ども達は食事が済むと,2 階で大学生たちとゲームをしたりおじさん の手品を楽しんだりします。ママたちのお喋りタイムにもなります。

3 月から 5 月までは新型コロナの影響を考えてお弁当配布を開始


市内の子ども食堂が休止していたため、注文が増え 70 個作り、遠方まで車で配達してい ました。

サンタ「みんなの学び舎」


2019 年 4 月より、我らがホーガン先生の登場。学習支援を始めるに当たって、人現会の 原田さんに是非とも学び舎の長をやって欲しいと、鴨川に住んでいるのを半ば強引にお願 いして首を縦に振ってもらいました。2 年目に入り新型コロナの影響で 3 月からお休みにし ていましたが、6 月より学生たちと再開しました。こちらは第 1・第 3 の土曜日 10〜15 時, 8 月まで昼食付き無料で運営しています。(この 9 月より有料 500 円となります。)小学 2 年〜高校 1 年生が来ています。

フードパントリー(無料の食料配布会)


全国子ども食堂ネットワーク“むすびえ”からの助成金をもらい、千葉幕張ライオンズク ラブやフードバンク“ふなばし”をはじめ,個人の支援者の方々から寄付や食材が届けられ 感謝しています。この活動は一人親家庭や生活保護、生活困窮者に限定させていただいてい ます。6 月から 10 月まで最終土曜日に開催します、事前予約が必要です。サンタのフード パントリーの特徴は,それぞれの家庭のリクエストを聞き購入してお渡しします。もちろん 寄付された食材なども一緒に配布します。子育て家庭のリクエストで 1 番多いのは牛乳で 5 した。暑い夏なので生鮮食品は配布できないのですが、常温保存可能の牛乳があるのです。 これを多量に購入して配布しています。みなさんに大変喜ばれています。

今は新型コロナの影響でいろんなことがストップしています。私は新型コロナが怖くな いというわけではありませんが、子ども食堂を止めてはいけないと思います。換気、消毒、 マスク等、三密を避けながら細々と続けていきたいと思います。

以上,取り止めもないことを書きましたが、西宮は,大げさかもしれませんが,絶望の淵 から立ち上がり、地域の福祉の要となるべく頑張っています。ちなみに 4 番目の子どもは 22 歳となり 4 月から奥多摩の施設で椎茸の原木運びなどをして元気に汗を流しています。

新型コロナの影響でおもちゃ図書館カフェサンタの本体の方が厳しい状況です。各種助 成金ももらっておりますが、カフェの収益が激減したため NPO 法人にすることも含め,今後 の運営を模索中です。何かいいアイデアがありましたら,西宮までアドバイスをいただけた らと思っています。

令和 2 年 8 月 13 日

おもちゃ図書館カフェサンタ

サンタ「みんなの食堂」

代表 西宮敬子

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